一度見たら忘れられない風貌の、個性派俳優、嶋田久作(しまだ きゅうさく)さん。怪優とも呼ばれているほど、強烈なインパクトを与える顔立ちで有名です。しかし、演技の幅は広く、冷酷な役や悪人役の他に、コミカルな役もこなされ、主人公を引き立たせる、名脇役でもあります。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
嶋田さんは、1955年4月24日生まれ、
神奈川県横浜市戸塚区(現・瀬谷区)のご出身、
身長180センチ、
体重68キロ、
血液型はO型、
本名は、
嶋田 哲夫、
学歴は、
幾徳工業高等専門学校中退
⇒東洋大学文学部哲学科卒業
だそうです。
若い頃は?
そんな嶋田さんは、大学時代には、
バンドを組まれていたそうです。
そして、大学卒業後は、
バンドのキーボード奏者をはじめ、
コンピュータのプログラマー、生協のレジ打ち、庭師など、
様々なお仕事をされていたそうですが、
1984年に、飴屋法水(あめや のりみず)さんの誘いを受け、
劇団「東京グランギニョル」の旗揚げに参加されます。
お二人の具体的な出会いは、
分かりませんでしたが、
当時、嶋田さんは庭師をされていて、
演劇は未経験だったそうですから、
よほど、飴屋さんは、
嶋田さんの独特の風貌に惹かれたのでしょう。
実際、嶋田さんは、
この劇団「東京グランギニョル」で、
看板スターとして活躍されていたそうです。
この劇団「東京グランギニョル」は、
一風変わっている劇団で、
その特徴に、
包帯、眼帯、血のり、学生服、学帽、目玉、両性具有者など、
耽美的で、退廃的な雰囲気を、
舞台で表現されていたようです。
そして、団員の資格は、
美少年でなければならなかったのだとか!
ある意味、夢の世界で、
はまったら抜けだせそうにありませんね。
当時、このお芝居を見に行った方の話では、
観客はそれほど多くなかったそうですが、
人気は抜群だったそうです。
こんな世界を舞台で作れるなんて、
すごいですね!
しかし、たった4作品しか発表せず、
1986年に劇団は解散されました。
嶋田さんは、
庭師をされながらの、お芝居だったので、
その後は、庭師一本で、
生計を立てていこうと思っておられたようです。
帝都物語!
そんな時、嶋田さんは、
映画「帝都物語」の主役 加藤保憲役に抜擢され、
映画デビューを飾られました!
当時、加藤役の俳優探しが、
難航していたそうですが、
いろいろな映画監督のつてで、
嶋田さんの名前が上がり、オファーがあったようです。
これが映画初出演だった嶋田さんでしたが、
この「帝都破壊を目論む謎の軍人」
といったオカルトな役を不気味に演じられ、
一躍有名になられました。
ほんと、一度見たら、
頭に焼き付いて離れないほど、
ヴィジュアル的に強烈ですね!
原作者の荒俣宏さんは、「帝都物語」を文庫化する際、
加藤を、嶋田さんに似せて、
書き直されたと言われているほどです!
原作者が、役者を参考に、
すでに自分が作ったキャラを書き換えるなんて、
嶋田さんのインパクトが、
どれほど凄かったかということですね!
この成功で、大物監督から次々起用され、
名俳優としての地位を確立された、嶋田さん。
庭師ではなく、
俳優になる運命だったのでしょうね~
妻は?息子は?猫?
嶋田さんは、
1990年に結婚されているようです。
2012年10月が、
22回目の結婚記念日であることを、
ご自身のブログで明かされていました。
その日のこと、
昼間、夫婦で買い物に出かけ、
途中寄ったカレー屋さんで、
ビールを飲んでいる時に気が付きました。
妻の方が(^^;失われた20年とよく言われますが、
思えば、僕ら夫婦の歴史は、
殆どそれと重なっているんです。これから先、どうなるか判りませんが、
一日、一日を大切に生きて行こう、
という月並みな事しか思い浮かびません。
と綴られていました。
長い年月を共にされた方、
ならではのコメントですね!
奥さんについては、情報がないので、
一般の方のようです。
そして、「嶋田久作 息子」で、
多くの方が検索されているようですが、
嶋田さんには、
お子さんはいらっしゃらないようです。
ブログのプロフィール欄の、
家族の紹介のところに、
「ヨメ一人、猫ひとり」
となっていました(^^)
猫がとてもお好きなようで、
かわいい猫ちゃんの写真が、
たくさんアップされていました!
ブログのタイトルも
「猫可愛がり。だからダメなんだ」
でした♪
プライベートでは、奥さんと猫ちゃんで、
まったり暮らされているようです(^^)
これからも、その独特なキャラを活かして、
私達を魅了してほしいですね。
今後のご活躍も期待しています!!