中学時代は、成績優秀だった一方で、教師をイジメて面白がっていたという、田原総一朗(たはら そういちろう)さんですが、そのほか、野球や絵を楽しみ、小説も書き始めたといいます。

「田原総一朗は中学時代から教師相手に論争を楽しんでいた!」からの続き

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小学校~高校1年生まで野球に夢中だった

中学時代は、屁理屈で教師を追い詰め、面白がっていたという田原さんですが、一方、小学校時代に始めた野球がおもしろくて仕方がなかったそうで、中学でも野球部に入部したそうですが、

(ポジションはキャッチャーで、後にサード)

バッティングの方はそれなりに打てたものの、とにかく、足が遅いうえ、肩が弱かったそうです。

(高校1年生まで野球をやっていたそうです)

絵はコンクールで賞をもらうほどの腕前だった

また、幼少期からずっと大好きだったという絵も、続けていたそうで、

中学校の美術教師に、

田原くん、山の縁は赤色にしなさい

風景画にだって黒を使っていいんだよ

などと、アドバイスされ、

(一般的には、風景画に黒色を使うことはタブーとされているそうです)

黒色を使ってかなり大胆な絵を描き、滋賀県や近畿の学生展で賞をもらうほどの腕前になっていたそうです。

(「不透明水彩」と呼ばれる油絵に近い水彩画だったそうです)

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中学の時に小説も書き始めていた

さらに、田原さんは、中学時代から小説も本格的に書き始めるようになったそうで、1948年3月~1950年3月には、当時、「野球 少年」「野球界」という雑誌に掲載されていた作品を読み、自分なりに物語を考え、「憧れの甲子園」という作品を執筆したそうです。

(他にもたくさん執筆していたそうですが、引っ越しの度に処分して残っていないそうです)

ただ、物語中、借金を楯に八百長を強要する、という設定があるそうで、田原さん自身、今思うと、中学生でこのような設定を考えたことに、相当ひねくれて世の中を見ていたのだろうと語っています。

(この小説は他人が読めるようにきちんと綴じ、自分なりに装丁もしてあるそうですが、あくまでも自己満足だったそうで、友達にも回覧してはいなかったそうです)

ちなみに、文学に素養のある教師からは、

まず読書しなさい。 文体を覚えること。 尊敬する作家の文章を書き写しなさい

と、言われたそうで、

田原さんは、芥川龍之介や夏目漱石など、著名な作家の小説を読んだそうですが、一番、印象が強く残ったのは、倉田百三や山本有三の作品だったそうです。

「田原総一朗は高校時代にサークル「文学会」を立ち上げていた!」に続く

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