「朝まで生テレビ!」「サンデープロジェクト」で司会を務め、率直な物言いや、ゲストとの丁々発止のやり取りのほか、ゲストの政治家を挑発して追及するスタイルでお馴染みの、田原総一朗(たはら そういちろう)さんですが、実は、中学時代から教師相手に同様のことをしていたといいます。

「田原総一朗は少年時代に教師を質問攻めにして立たされていた!」からの続き

Sponsored Link

中学時代は教師をイジメて面白がっていた

田原さんは、中学時代、学級委員や生徒会役員をするなど、成績優秀な生徒だったそうですが、一方、教師をイジメて面白がっていたそうで、

あらかじめ教師用の指導書(虎の巻)を手に入れてから、教師に質問し、教師が指導書を見ながら答えると、今度は答えられないような意地悪な質問をしていたそうです。

国語の教師をイジメて辞めさせたこともあった

例えば、国語の教師に対して、幼稚園の時からの親友で、中学でも同級生になった滋野嘉彦さんと組んで、授業で「タイピスト」という言葉が出てきた時、「タイピストって何だ」と質問し、その教師が、「タイプライターを打つ人だ」と答えると、「タイプライターって何だ」と聞いたそうですが、

当時、学校にはタイプライターがなかったため、実物を見たことがない教師は、答えに詰まってしまったそうで、そんなことを繰り返し、その教師を辞めさせたことがあったそうです。

(滋野さんは大学卒業後、 松下電器産業(現在のパナソニック) に入社し、ホットカーペットの開発などで役員まで上り詰めたそうです)

試験でわざと「鎌倉五山文学」を「室町五山文学」と書いて提出し教師に因縁をつけていた

また、試験の時には、「鎌倉五山文学」と書けば「〇(正解)」になるところを、

(あらかじめ、「室町五山文学」というものがあることを文献で確認し、虎の巻にも書いていないことを確認のうえで)

わざと、「室町五山文学」と書いて提出したそうで、当然、「X(バツ)」となるのですが、田原さんは、ここぞとばかりに、「なんでXなんだ」と教師に因縁をつけ、「ほら、あるでしょう」と証拠の文献を示し、教師を追い詰めたこともあったそうです。

後醍醐天皇と足利尊氏の争いについても無理な質問をして教師を困らせ楽しんでいた

そして、社会の授業でも同じようなことをしたそうで、室町時代、後醍醐天皇と足利尊氏が争って、足利尊氏が勝ち、後醍醐天皇を追放する話では、学校の授業では、どちらかというと、足利尊氏が悪いとされているのですが、

それは、決して「天皇が悪い」とは言えないことから、そう教えられているのを分かったうえで、

後醍醐天皇は足利尊氏に助けてもらって鎌倉幕府を倒したのに、尊氏をやっつけようとするのはおかしいじゃないか

と、質問して、教師を困らせ、面白がっていたそうです。

Sponsored Link

中学の頃から論争を楽しんでいた

そんな田原さんは、教科の中身以外のことでも、

なぜ学校に来なければいけないのか

なぜ勉強しなければいけないのか

勉強って何だ

なぜ学校に来なきゃいけないか。勉強なら家でしたっていいじゃないか。だいたい学校に来るのは、通う時間のムダだと思う。授業が四五分で終わるので、つまらないし。 面白いと思う時は、二時間でも三時間でも家で勉強した方がいいじゃないか

と、しょっちゅう、屁理屈をこねて教師を困らせていたそうですが、

それは、日々を無為に過ごすことが嫌だったほか、「ただ、教えればいい」と思っている教師の無難さも許せなかったからだそうで、もっと、ギリギリのところまでやれと、教師に迫っていたのだそうです。

ただ、屁理屈を言っているため、論戦では相手に負けるかもしれないというリスクは常にあったそうですが、だからこそ、論争は面白く、身体を張ってやってみようという気持ちが湧いてきたのだそうです。

(テレビの討論でも、政治家を追い詰めると、結局は自分を追い詰めることになるそうですが、だからこそ、自分を奮い立たせ、負けるかもしれない論争に挑んでいくのだそうです)

「田原総一朗は中学時代から小説を書き始めていた!」に続く

Sponsored Link