1964年、映画「五瓣の椿」で艶のある演技を披露し、見事、清純派女優からの脱皮に成功した、岩下志麻(いわした しま)さんですが、女優として脂が乗っていた1966年、周囲の反対を押し切って、結婚されています。今回は、そんな岩下さんとご主人の馴れ初めについてご紹介します。

「岩下志麻のデビューからの出演ドラマ映画CMを画像で!」からの続き

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篠田正浩監督との馴れ初め

岩下さんは、1966年3月3日、映画監督の篠田正浩さんと結婚されています。

岩下さんは、1960年、19歳の時、映画「乾いた湖」の主演を探していた、篠田さんと脚本の寺山修司さんに、面接のため、神楽坂の旅館に呼ばれ、初めて篠田さんと出会ったそうですが、

ショッキングピンクのショートパンツに金色のペンダントという派手な出で立ちの篠田さんに、

こんなに若い監督さんもいるんだ!

と、びっくりされたそうです(笑)

(この面接で、見事、岩下さんは主演に選ばれるのですが、いまだに、なぜ篠田さんが自分を選んでくれたのかよく分からないそうです)


「乾いた湖」より。岩下さんと三上真一郎さん。

初デートは映画「暗殺」の撮影中

その後、岩下さんは、

1961年「わが恋の旅路」
     「夕陽に赤い俺の顔」
1962年「山の讃歌 燃ゆる若者たち」

と、篠田さんの作品に出演されているのですが、すぐに交際となった訳ではなく、

1964年、岩下さんが23歳の時、篠田さんの映画「暗殺」の撮影中、京都の撮影所で夜の時間が空き、この時初めて、一緒に食事に行ったそうです。

(それまで、二人きりでお茶を飲んだこともなかったとか)

ちなみに、お二人は、先斗町(ぽんとちょう)のお店に行かれたそうで、二人でお酒を2升(2合とっくり10本)も飲んだそうですが、二人とも、緊張のため、全然酔わなかったそうです。


「暗殺」より。

「結婚する」という直感から告白⇒交際

そして、この「暗殺」がクランクアップを迎え、映画の打ち上げが東京・赤坂のナイトクラブで行われた際、岩下さんは、当時流行っていたマンボというダンスを篠田さんと踊ったそうですが、

その時、ふと、

ああ、私はこの人と結婚するな

と、直感し、

篠田さんに、

私、監督と結婚するような気がします

と、言ったそうで、このことがきっかけで、交際に発展したのだそうです。

ちなみに、岩下さんによると、突然の岩下さんの告白に、篠田さんは唖然とされたそうですが、

後日、そのとき(踊りながらの告白)のことを篠田に聞いたら、会社は「清純」で売っているけど、とんでもない不良女だ。ああ言って、いつも男を口説いているんだろうって思ったそうです(笑)

とのことでした♪

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「松竹」が結婚に猛反対

こうして、交際をスタートしたお二人は、それから約3年後の1967年、結婚されるのですが(岩下さん26歳、篠田さん36歳)、

当時は、「結婚=引退」という時代だったため、人気絶頂だった岩下さんの結婚に、「松竹」の重役達は、毎日のように岩下さんの自宅を訪れては、

まだ早い

一人の男の所有物になるのか!

と、猛反対。

ただ、岩下さんは、

周囲の人の99パーセントから反対されました。周囲から猛反対されるので逆に「結婚しよう。それで駄目ならもともとそこまでの女優。結婚してさらにいい女優になろう」という決意で踏み切りました

と、その猛反対で逆に結婚への決意を固めたのでした。

「岩下志麻と旦那の篠田正浩監督はおしどり夫婦!その秘訣とは?」に続く

篠田正浩さんと岩下さん。京都の紫野大徳寺・高桐院で結婚式を挙げられたそうです。

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