デビュー以来、あっという間に人気を博し、たちまちお茶の間の人気者となった、明石家さんま(あかしや さんま)さんですが、プライベートでは、かわいがっていた弟さんが死去するという悲劇に見舞われています。
「明石家さんまは昔「ヤングおーおー」でアイドル的な人気だった!」からの続き
弟が実家の火災で死去し打ちのめされる
1983年4月18日、さんまさんが関西で売れっ子芸人として活躍していたちょうどその頃、当時、19歳だった弟さんが、実家の火事が原因で他界されているのですが、
弟さんは、高校卒業後は実家の家業を継ぐことが決まっており、そんな中での訃報に、さんまさんは泣き崩れたそうで(告別式では、涙を見せまいと、口をへの字に結び、必死に耐えていたそうです)、
後に、さんまさんは、
ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。ぼくがいうことは、すべて正しいと思っていたみたいですよ。自分にも、それから他人にも、素直に自分をさらけだせるやつでしたね。
ぼくもサッカーやったけど、チビのほうがすごいんですよ。サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、国体選手にも選ばれたしねえ……
去年の10月、大阪のぼくのマンションに遊びにきたとき、今度のワールド・カップをふたりで一緒に見に行こう。キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに……まだ納得できません、あのチビが死んだなんて……
と、コメントされています。
芸能界引退を考えるもオール巨人のツッコミ(励まし)で立ち直る
その後、さんまさんは、なかなか、この弟さんの死を受け止められなかったそうで、お笑い番組の中でも、笑いが取れなくなってしまい、芸能界引退まで考え始めていたそうですが、
そんな時、同期で仲の良かったオール巨人さんと舞台に上がると、
突然、オール巨人さんが、
お前んち兄弟焼いたらしいな
と、振ってきたそうで、
さんまさんは、すぐに、これがオール巨人さんの励ましということに気付いたそうで、素早く、
なんてこと言うんや!!!そや、材木きれたから代わりに焼いたんや
と、見事に切り返すと、観客は大爆笑の嵐に。
この出来事から、さんまさんは、
俺は幸せな人を感動させたいんやなくて、泣いてる人を笑わせて幸せにしたいんや。これが俺の笑いの哲学や。
と、芸人を辞めることを思いとどまったのだそうです。
弟は自殺だった?
ところで、弟さんの死の原因となった実家の火事とはどのようなものだったのでしょうか。
さんまさんの実家は、1階が工場、2階が自宅という、自宅兼工場になっていて、出火したのは1階の工場からだったそうですが、
さんまさんの弟さんは、工場の中央付近で遺体となって発見されたため、当初は、火事に気づいた弟さんが火を消そうと試みている間に、煙に巻かれて逃げることができなくなり、亡くなってしまったのではないかと、考えられていました。
(火事が起こった時、他の家族は就寝中だったのですが、途中で火事に気付いて逃げ、無事だったそうです)
ただ、警察の捜査が進むにつれて、工場内は広く、煙に巻かれるのには時間がかかることほか、弟さんが就寝中の家族に火事を知らせようとしなかったことなど、不自然な点が浮かび上がったそうで、
そのため、警察が弟さんの衣服を調べたところ、灯油が上着だけではなく下着にまでべったりと染み込んでいたことから、大量の灯油を全身に浴び、火をつけて焼身自殺したと断定し、発表したのでした。
弟が自殺した理由は?
弟さんは、前年の春、高校卒業後は、実家の工場を手伝っており、将来は、家業を継ぐことが決まっていたそうですが、周囲の友人には、家業を継ぎたくないと話していたそうで、家業を継ぐことに悩んだ末の自殺だったのではないかと、考えられているようです。
ただ、当時、さんまさんは、
あいつは自殺するような人間やない・・・もし自殺するほど苦しんでいたら、ぼくにひとこと相談したはずや・・
と、泣きながら、最愛の弟の自殺説を否定されています。
「明石家さんまは日航機墜落事故を奇跡的に免れていた!」に続く