3歳の時にお母さんを亡くすと、その後、お父さんの再婚相手からは愛情が得られず、辛い少年時代を過ごした、明石家さんま(あかしや さんま)さんですが、明るくて面白い性格から学校で人気者となると、やがて、落語家を目指します。

「明石家さんまの生い立ちは?継母に無視されるも学校では人気者だった!」からの続き

Sponsored Link

「あんたはセンスがあるから」と笑福亭松之助に弟子入り志願

さんまさんは、「京都花月劇場」で観た、笑福亭松之助さんの新作落語が面白かったことから、高校卒業直前の1973年3月、落語家を目指し、笑福亭松之助さんに弟子入りを志願するべく、「京都花月劇場」の楽屋を訪れるのですが、

松之助さんが、その時のことを著書「草や木のように生きられたら」で明かされていますので、ご紹介しましょう。

松之助さんによると、松之助さんが「京都花月劇場」の楽屋へ行こうと、小さな公園を横切り、楽屋へと続くコンクリートの階段を一歩上がった、ちょうどその時、

背後から、

モシモシ

と、声がしたそうで、振り返ると、長髪の高校生(さんまさん)が立っていたそうです。

そこで、松之助さんが、

なにか用?

と、尋ねると、

その高校生が、

弟子にしてください

と、言ったため、

松之助さんは、

それはええけども、何でわたしの弟子になりたいのか?

と、尋ねたそうですが、

なんと、その高校生は、

あんたはセンスがあるから

と、言ったそうで、

松之助さんは、うっかり、

ありがとう

と、頭を下げて、この高校生を弟子にしてしまい、さっそく、さんまさんを自身の仕事先であるラジオ局に連れて行ったというのです。

(うっかり、頭を下げたはずもないのですが、このような表現が、さすが、さんまさんにセンスあると言わしめた松之助さんです♪)


草や木のように生きられたら

さんまの最大級の褒め言葉だった

ちなみに、さんまさんは後に、上から目線で失礼な発言をしてしまったことについて、

(当時は)子供やったから、最大級の褒め言葉やったんです

と、素直な気持ちを伝えたつもりだったと、釈明されています(笑)

「播州めぐり」で落語家初舞台

そんなさんまさんは、高校卒業後の3月、正式に内弟子として修行を開始し、

(下積み時代は、丸刈りにされたそうですが、それ以外はあまり厳しくなく、放任主義だったそうです)

それから半年も経たないうちに、「笑福亭さんま」名義で「播州めぐり」で初舞台を踏まれているのですが(10日間ほどの公演)、

さんまさんは、後に、

初舞台では緊張で頭が真っ白になって、ネタをやり直した

と、明かされています。


落語家時代のさんまさん。

Sponsored Link

東京で一旗揚げようと交際相手と駆け落ち

ただ、入門して7ヶ月もすると、内弟子修行に嫌気が差し、東京で一旗上げようと、当時交際していた女性とともに上京。

東京では、パチンコやアルバイトで生活されていたそうですが(持ち前の面白さを発揮し、イベント司会などでモノマネをしたこともあったとのこと)、

あまりお金はなく、東京で暮らしていた部屋は、共同便所、風呂なしの家賃8000円のアパートだったそうで、夜11時を過ぎると銭湯に入れなくなるため、冬に水道水で頭を洗ったこともあり、

死ぬかと思った

と、思うほど厳しい生活を送られたのでした。

(松之助さんは、入門当初よりも痩せていくさんまさんを見て、恋人ができたことを察知するも、「若い時にはいろいろある」と、さんまさんの思うようにさせていたそうで、周囲の心配をよそに、「今、うちの杉本ちゅうのが出ていってるけど、また戻ってくるので」と言っていたそうです)

「明石家さんまは落語家内弟子時代に吉本興業にスカウトされていた!」に続く

Sponsored Link