1960年には、歌舞伎「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」の「角力場(すもうば)」で演じた放駒(はなれごま)が、演劇評論家・戸板康二さんにより、高く評価されたという、二代目松本白鸚(にだいめ まつもと はくおう)さんは、
その後、早稲田大学受験に向けて勉強に励む中、1961年には、父・8代目松本幸四郎さんにより、東宝に移籍させられたといいます。

「松本白鸚(2代目)は「太陽の季節」を見て歌舞伎を辞めようと思っていた!」からの続き
2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)は母親の意向で早稲田大学を受験するため予備校に通っていた
2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんは、高校時代、進路を考える時期になると、大学に進学するか役者に徹するか迷ったそうですが、
バンカラな気風の早稲田がお気に入りだったお母さんから、
早稲田だけは受けなさい。早稲田を落ちたら役者に徹しなさい
と、早稲田という条件つきで大学進学を勧められたそうで、
お母さんの意向に従い、早稲田の第一文学部を受験することに決めると、高校3年生から、神田の研数学館という予備校に通って国語と日本史を勉強したそうです。
(予備校帰りに気の合った仲間と、銭湯に行ったり、ラーメンを食べたりするなど、受験生の生活を楽しんだそうです)
2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)は父・8代目松本幸四郎により東宝に移籍させられていた
そんな中、1961年1月には、父・8代目松本幸四郎さんにより、弟の萬之助(2代目中村吉右衛門)さんとともに、松竹から東宝に移籍させられたそうですが、
実は、当時売り出し中だった2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんたちのことで、お父さんに様々な嫌がらせがあったそうで、
お父さんは、そんな嫌がらせが、2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんにも及びそうになり、移籍させることを決めたのだそうです。
2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)は受験会場にマスコミが殺到するも早稲田大学に合格していた
ちなみに、2月の早稲田大学受験日当日には、松竹から東宝への移籍がどこからか漏れ、受験場にマスコミが殺到し、外国語の試験が始まる時には、窓の外からカメラのフラッシュがパチパチとたかれたそうで、
(東宝は、2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんの受験が一段落した時点で移籍を発表する予定にしていたそうです)
2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんは、他の受験生に迷惑になると思い、試験監督に話をし、表に出て、マスコミに、
試験が終わり次第お話します
と言って、一旦、引き取ってもらったそうで、
このような騒ぎもあり、早稲田大学への進学は半ばあきらめていたそうですが・・・
思いもよらず合格したといいます。
(お母さんは、大喜びで、さっそく学生服をあつらえに行き、お父さんは、合格祝いにと、自ら銀座和光でドイツ製の置き時計を買ってきて、「おめでとう、はい」と言って、楽屋で手渡してくれたそうです)
2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)の父・8代目松本幸四郎も高麗屋一門を率いて東宝に移籍していた
その後、2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さん兄弟の東宝入りが発表されると、その10日後には、お父さんの8代目松本幸四郎さんが高麗屋一門(8代目市川中車さん、2代目中村又五郎さんら30数名)を率いて東宝に移籍することを表明し、歌舞伎界は騒然となったそうですが、
お父さんの8代目松本幸四郎さんは、新聞のインタビューで、
歌舞伎は曲がり角にきている。その行き詰まりを誰かが解決しなければならぬ。それを私がやるというのは、おこがましいことだろうか・・・
と、語っており、
母方の祖父・初代中村吉右衛門さんが1954年に他界されたことで、これまで歌舞伎を背負ってきた大黒柱がなくなったほか、昭和30年代にはテレビ放送が急成長するなど、これからの歌舞伎界の行方に危機感を募らせてのことだったといいます。
2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)劇作家・演出家の菊田一夫によって東宝に招かれていた
実は、東宝の演劇担当重役で劇作家・演出家の菊田一夫さんが高麗屋一門を東宝に招いてくれたそうですが、
菊田一夫さんが8代目松本幸四郎さんを中心にして、東宝独自の歌舞伎を作っていきたいという夢を抱いていたところ、8代目松本幸四郎さんも、息子たちの移籍のことで菊田一夫さんと何度か会っているうちに、この人に人生を賭けてみようと思うようなったそうで、
(東宝は、戦前の1935年、歌舞伎役者を引き抜いて「第一次東宝劇団」を結成するも、3年足らずで解消していたほか、1955年には、「東宝歌舞伎第一回」を上演するなど、かねてから、自前の歌舞伎劇団を持とうとしていたそうです)
東宝は、8代目松本幸四郎さんを迎えるに当たり、大劇場を舞台とした新しい娯楽大衆時代劇、新歴史劇の確立、古典としての歌舞伎劇の上演、という3項目のビジョンを掲げたといいます。
(1961年の春、2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんは、大学入学祝いも兼ねて、一家で修善寺の温泉旅行へ出かけたそうですが、夜は卓球や射的をするなどして楽しく過ごしたそうで、ささやかながら、生まれて初めての温かい一家団欒を過ごしたそうです)
「松本白鸚(2代目)は東宝移籍後は菊田一夫作品に数多く出演していた!」に続く
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1961年1月、父・8代目松本幸四郎さんの意向により、弟の萬之助(2代目中村吉右衛門)さんとともに東宝に移籍すると、その10日後には、これからの歌舞伎の行末を案じた父・8代目松本幸四郎さんも高麗屋一門を率いて東宝に移籍し、再び、親子で舞台に出演することになったという、2代目松本白鸚(まつもと はくおう)さんは、 高麗屋一門を東宝に招いてくれた劇作家の菊田一夫さんの作品を中心に数多くの舞台に出演したといいます。


