1961年1月、父・8代目松本幸四郎さんの意向により、弟の萬之助(2代目中村吉右衛門)さんとともに東宝に移籍すると、その10日後には、これからの歌舞伎の行末を案じた父・8代目松本幸四郎さんも高麗屋一門を率いて東宝に移籍し、再び、親子で舞台に出演することになったという、2代目松本白鸚(まつもと はくおう)さんは、
高麗屋一門を東宝に招いてくれた劇作家の菊田一夫さんの作品を中心に数多くの舞台に出演したといいます。

「松本白鸚(2代目)が高3の時に東宝に移籍させられた理由とは?」からの続き
2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)の東宝移籍後の初仕事は「石切梶原」「封印切・新口村」だった
1961年2月17日、「東宝」専属となった、2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんら高麗屋一門のお披露目が新橋第一ホテルで開かれると、
初仕事となった第二回「木の芽会」(芸術座で現在のシアタークリエ)の演目「石切梶原」と「封印切・新口村」では、2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんは、母方の祖父・初代中村吉右衛門さんの当たり役だった忠兵衛役を演じたそうですが、
昔、主演を張っていた市川團之助さんや坂東吉十郎さんといった老優たちが教えてくれ、また、助演もしてくれたそうで、かつての大歌舞伎をそのまま教えてもらったことは、とても貴重な体験だったそうです。
2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)は「東宝劇団」として「寿二人三番叟」「野薔薇の城塞」などに出演
そして、1961年6月には、「東宝劇団」(菊田一夫さんにより名付けられたそうです)の公演「寿二人三番叟(ことぶきしきさんばそう)」と「野薔薇の城塞」(菊田一夫作・演出)が東宝宝塚劇場で開幕すると、
「寿二人三番叟」は、岡本太郎さんにデザインをお願いするほか、洋楽のオーケストラに文楽が加わった和洋折衷の舞台で、お父さんの8代目松本幸四郎さんが翁(おきな)、2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんと弟の萬之助(2代目中村吉右衛門)さんが三番叟(さんばそう)を踊ったそうです。
また、2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんは、「野薔薇の城塞」では、浜木綿子さん演じるアイヌ民族の娘と恋に落ちる武士の息子・隼人役を演じたそうですが、
浜木綿子さんのほかにも、越路吹雪さん、フランキー堺さん、榎本健一さんら、錚々(そうそう)たる映画スターとも共演を果たしたのだそうです。
(「野薔薇の城塞」は、関ケ原の戦いで敗れた武士が蝦夷へ移住し、アイヌ民族と戦い、ついに悲惨な死を遂げるまでを綴った物語で、武士役はお父さんの8代目松本幸四郎さんが演じたそうです)
2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)は東宝と歌舞伎の観客の印象が異なると感じていた
ちなみに、2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんによると、東宝と歌舞伎の観客は違っていたそうで、
歌舞伎のお客さんは、その世界で長い間培われてきた役者の芸を見るようなところがあったそうですが、一方、東宝のお客さんは、その時の旬のスターに憧れるという印象を受けたそうです。
2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)は芸術座の「悲しき玩具」出演中には、石川啄木の友人・金田一京助が楽屋に訪ねてきてお礼を言われていた
さておき、2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんは、1962年、20歳の時には、石川啄木の後半生を描いた芸術座の公演「悲しき玩具」(菊田一夫作・演出)で主役の石川啄木役を務めたそうですが、
(森光子さん、八千草薫さん、浜木綿子さん、噺家の三遊亭圓生さんらと共演)
公演中には、石川啄木の友人だった国語学の金田一京助さんが楽屋に訪ねてきて、
はじめちゃん(啄木の本名)をやってくれてありがとう。はじめちゃんも喜んでいるよ
と、言って手を握ってくれたといいます。
(この「悲しき玩具」は、前年に初演された森光子さんの「放浪記」に次ぐ評判だったそうで、10月に開幕し4ヶ月のロングラン公演となったそうです)
2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)は舞台「さぶ」では原作者の山本周五郎に楽屋を訪ねられていた
また、2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんは、1963年には、自ら企画した、井上靖さんの同名小説を原作とする舞台「蒼き狼」で、主役のチンギスハンを演じるほか、
1964年9月には、山本周五郎さんの同名小説を原作とする舞台「さぶ」で、主人公・さぶの親友・栄二役を演じているのですが、
ある日のこと、原作者の山本周五郎さんが楽屋に訪ねてきて、
君は見得を切ると、そこから手が5寸ほどのびる。稀有な役者だ
菊田一夫ってやつは見物の心をキュッとつかむ術を心得ている。悪いところは捨てて、いいとこだけ学びなさい
などと、言ってもらったといいます。
(山本周五郎さんは、以前にも、2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さん主演の歌舞伎の舞台「菅原伝授手習鑑 車引」を見に来てくれたことがあったそうです)
「松本白鸚(2代目)は若い頃公演中に足の筋を切るも舞台に立ち続けていた!」に続く
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東宝に移籍後は、「野薔薇の城塞」「悲しき玩具」など、劇作家・菊田一夫さんの作品のほか、「蒼き狼」(井上靖原作)、「さぶ」(山本周五郎原作)など、様々なジャンルのお芝居に、次々と出演していった、2代目松本白鸚(まつもと はくおう)さんは、 1965年には、ミュージカル初挑戦の「王様と私」で「王様」を演じ、大ヒットさせているのですが、翌1966年のミュージカル「心を繋ぐ六ペンス」では、公演の最中に足の筋を切る大ケガに見舞われるも、千秋楽まで休まず舞台に立ち続けていたといいます。



