八千草薫の若い頃は宝塚!夫は?子供は?出演舞台ドラマ映画は?


宝塚歌劇団出身の女優、八千草薫(やちぐさ かおる)さん。若い頃は可憐な容姿で人気を集め、おっとりとした上品な立ち振舞から、良妻賢母の役を多く演じられています。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

八千草さんは、1931年1月6日生まれ、
大阪府大阪市天王寺のご出身、

身長154センチ、

星座はやぎ座、
血液型はO型、

学歴は、
聖泉高等女学校(現・プール学院中学校・高等学校)
⇒宝塚音楽学校

ちなみに、本名は松田瞳(まつだ ひとみ)で、結婚後、谷口瞳(たにぐち ひとみ)となっています。

少女時代

八千草さんは、幼いころは体が弱く、すぐ病気になってしまって、週に1、2日は学校を休んでいたそうで、小学校時代は3ヶ月間も学校を休み、静養のため、空気のきれいな兵庫県の六甲にある、おじいさんとおばあさんのもとに預けられたこともあったそうですが、

高校在学中、新聞広告で「宝塚歌劇団・音楽学校」の生徒募集を見つけ、受験すると、なんと、一発で合格。

実は、小学校の頃、おばあさんが宝塚の専門誌を買っていたことから、そこに写っている春日野八千代さんを見て、

こんな美しい人がいるのか

と感銘を受けていたそうで、

八千草さんは、後に、

戦争が終わっても暗い時代でね。キラキラとした華やかなものにあこがれたんです。

と、宝塚を受験した理由を語っておられます。

宝塚歌劇団に入団

こうして、「宝塚歌劇団」に入団された八千草さんは、入団当初は、「分福茶釜」のタヌキなど、コミカルな役を演じることが多かったそうですが、

1952年、「源氏物語」の初演で、紫の上の少女時代である、若紫を演じられると、その可憐で無垢な姿が光り、たちまちブレイク。

以降も、憧れだった、当時、男役トップスターの春日野八千代さんの相手役を務められたほか、美貌の清純派娘役を多く演じられ、「宝塚歌劇団」の一時代を築かれたのでした。

また、八千草さんは、1952年に劇団内に新たに設立された、映画専科にも所属され、東宝映画などの外部出演もこなされていたそうですが、その後、1957年には「宝塚歌劇団」を退団。

その後は、女優として活躍され、おっとりとした良妻賢母役がハマり役となっています。

後に、八千草さんは、宝塚での日々を、

宝塚に入って強くなったと思います。体も、心も。クタクタになりながら本当に頑張った。いろいろなものを宝塚から頂いたと思っています。

と語っておられるのですが、八千草さんのルーツはここにあったのですね。

出演作品(舞台、テレビドラマ、映画)

それでは、ここで、八千草さんのそのほかの出演作品もご紹介しましょう。

舞台では、

1951年「文福茶釜」(宝塚時代)
1952年「源氏物語」(宝塚時代)
1954年「みにくい家鴨の子」(宝塚時代)
1960年「がしんたれ 青春篇」
1961年「放浪記」

1968年「霧の中」
1973年「二十四の瞳」
1990年「土佐堀川」
   不明「細雪」

   不明「女系家族」
   不明「華岡青洲の妻」
2003年「黄昏」
2009年「晩秋」
2017年「これはあなたのもの 1943-ウクライナ」

テレビドラマでは、

1960年「愛妻物語」
1961年「三四郎」
1963年 NHK大河ドラマ「花の生涯」
1964年「虹の設計」
1966年「銭形平次」
1967年「船場」

1968年「こゝろ」
1969年「ややととさん」
1970年「張込み」
1971年「おりょう」
1972年「赤ひげ」
1973年「芙蓉の人」

1975年「俺たちの旅」
1976年「前略おふくろ様II」
1977年「岸辺のアルバム」
1979年「阿修羅のごとく」
1980年「熱い秋」
1981年「茜さんのお弁当」

1982年「季節が変る日」
1983年「土曜ワイド劇場『松本清張の殺人行おくのほそ道』」
1984年「序の舞」
1985年「眠る盃」
1986年「わたしの可愛いひと」
1987年 NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」

1988年「伝言(メッセージ)」
1989年「さよなら李香蘭」
1990年「びいどろで候~長崎屋夢日記」
1991年「世にも奇妙な物語 『40年』」
1992年「逃亡者」
1993年「西遊記」

1994年「橋田壽賀子ドラマ『女の言い分』」
1995年 NHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」
1996年「外科医・柊又三郎 第2シリーズ」
1998年「魚心あれば嫁心」
1999年「いちばん綺麗なとき」
2000年「フードファイト」

2001年「長崎ぶらぶら節」
2002年「東京物語」
2004年「愛し君へ」
2005年「星野仙一物語~亡き妻へ贈る言葉~」
2006年「白夜行」
2007年「拝啓、父上様」

2008年「鯨とメダカ」
2009年「ありふれた奇跡」
2010年「やまない雨はない」
2011年「いじわるばあさん3」
2012年「ドラマWスペシャル『學』」
2013年「母。わが子へ」

2014年「宮本武蔵」
2015年「おかしの家」
2016年「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」
2017年「やすらぎの郷」
2018年「執事 西園寺の名推理」
2019年「やすらぎの刻~道」

映画では、

1951年「宝塚夫人」
1952年「昔話ホルモン物語」
1953年「プーサン」
1954年「宮本武蔵 Samurai I: Musashi Miyamoto」
1955年「夏目漱石の三四郎」
1956年「決闘巌流島」

1957年「雪国」
1958年「銭形平次捕物控 八人の花嫁」
1959年「孫悟空」
1960年「ガス人間第一号」
1963年「新・夫婦善哉」
1964年「こんにちは赤ちゃん」
1965年「侍」

1966年「大殺陣 雄呂血」
1967年「古都憂愁 姉いもうと」
1969年「わが恋わが歌」
1971年「朝霧」
1972年「男はつらいよ 寅次郎夢枕」
1974年「田園に死す」

1975年「アサンテ サーナ」
1976年「不毛地帯」
1978年「ブルークリスマス」
1979年「英霊たちの応援歌 最後の早慶戦」
1987年「ハチ公物語」
1989年「226」
1992年「いつか どこかで」

1996年「宮澤賢治 その愛」
1997年「天国までの百マイル」
2001年「サトラレ」
2003年「阿修羅のごとく」
2005年「交渉人 真下正義」
2007年「しゃべれどもしゃべれども」

2008年「しあわせのかおり」
2009年「ガマの油」
2011年「日輪の遺産」
2012年「ツナグ」
2013年「くじけないで」
2015年「ゆずり葉の頃」

ほか、数多くの作品に出演されています。

夫は?

そんな八千草さんは、1957年、映画監督の谷口千吉さんと結婚されています。

谷口監督は、「芸術の黒澤、娯楽の谷口」と、黒澤明監督と並び称されるほどの名監督で、アクション、文芸、コメディと数多くの作品残されているのですが、

三船敏郎さんを見出された人としても有名で、自身の作品のイメージにぴったりだった、当時カメラマン志望の三船さんを口説き落とし、俳優デビューさせています。

その後、三船さんは、日本を代表する映画スターとして、世界的にも有名になられているので、いかに、谷口監督の眼力が確かだったかが分かりますね。

出会い

そんな谷口さんと八千草さんは、1956年、谷口さんが、谷崎潤一郎の未完小説を映画化した作品、「乱菊物語」で、八千草さんが「陽炎」役で出演されたのがきっかけで、知り合われたそうですが、

八千草さんは、谷口さんのことを、

それまで、監督は偉い人だからと緊張し、ほぼ話はできなかった。でも、主人のときは、本当に楽しくてね。

現場はユーモラスな会話が飛び交い、いつも笑っていた。主人は話し上手で明るい人。私のファンの方も、主人と話すと彼のファンになってしまう。

と、明かしておられました。

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おしどり夫婦!子どもは?

実は、当初、この結婚は、八千草さんと谷口さんが親子ほど年が離れていたことや、谷口さんが3度目の結婚だったことから、特に、八千草さんのお母さんは、結婚に猛反対されたそうですが、

実際、結婚された後は、おしどり夫婦と呼ばれるほど仲が良かったそうで、

谷口さんが、65歳で自動車免許を取得し、85歳まで八千草さんの送り迎えをされると、八千草さんは、90歳頃から車いすが必要な状態になった谷口さんを、95歳で亡くなるまで連れ添われるなど、お二人の絆は変わらなかったそうです。

ちなみに、二人の間にはお子さんがいらっしゃらなかったのですが、その分、長くお二人だけの時間が持てたこともよかったのかもしれませんね。

さて、いかがでしたでしょうか。

90歳間近となった現在も、結婚後、ご主人の趣味につきあって始められた山歩きを続けておられるなど、とてもお元気な八千草さんですが、自然を見ながら歩かれていることも、元気の秘訣なのだとか。

これからもお体を労りつつ、末永く活躍してほしいですね。

応援しています!!

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