ヘアモデルでもファッションモデルでも人気を博し、女性たちのファッションリーダー的存在となった、芳村真理(よしむら まり)さんは、その後、テレビドラマや映画にも出演するようになります。
「芳村真理が若い頃はヘアモデル⇒ファッションモデルだった!」からの続き
「誰かがあなたを愛してる」でテレビドラマデビュー
ファッションデザイナーのショーに出演するほか、雑誌の表紙のグラビアを飾るなど、ファッションモデルとして人気を博した芳村さんは、やがて、ラジオや、黎明期だったテレビ業界からも声がかかるようになったそうで、
テレビ番組「僕と私のファッション」(日本テレビ)にモデルとして出演した際には、テレビ局の人に声をかけられ、テレビドラマ「誰かがあなたを愛してる」にペギー葉山さんのボーイフレンドの妹役で出てほしいと依頼されたそうです。
幼い頃からお芝居は苦手だった
こうして、芳村さんは、1958年、「誰かがあなたを愛してる」でテレビドラマデビューするのですが・・・
実は、芳村さんは、子供の頃からお芝居が苦手で、学芸会の日にはいつも学校を休んでいたそうで、この、初めてのテレビドラマでも、セリフが全然覚えられず、胃が痛くなったそうです。
ただ、リハーサルが終わり、本番前になった時、台本から自分のセリフのところだけを切り取って、(カメラから見えない)木の横やブランコに貼り付けることを思いつき、それを見ながらセリフをしゃべると、自信がつき、すごく伸び伸びとお芝居ができたそうで、
終わった途端、プロデューサーたちが大拍手しながら来て、
明日からレギュラーにします
と、言われ、芳村さんはレギュラー出演することになったのだそうです。
大島渚にスカウトされ「霧ある情事」で映画デビュー
すると、その後、この「誰かがあなたを愛してる」を見ていた映画監督の大島渚さんから電話がかかってきたそうで、翌年の1959年には、渋谷実さんが監督を務めた映画「霧ある情事」(松竹)の津川雅彦さんの恋人役で映画デビュー。
その後も、大島さんは、
真理ちゃんは女優になるといい
と、熱心に言ってくれ、表紙に「芳村真理、女優になるの記」と書かれたノートをくれたのだそうです。
(ただ、見てみると、なにやら難しいことがびっしり書いてあったそうで、結局、読まず仕舞だったそうです(笑))
「霧ある情事」より。芳村さん(左)と岡田茉莉子さん(右)。
「俳優座」に合格するもサボってばかりだった
また、新劇の人に、「演技の勉強をしたほうがいい」と言われ、「俳優座」を受験すると、(芳村さんいわく「なぜか」)合格。
ただ、レッスンはサボってばかりいたそうですが、ある時、お芝居を見に行くと、隣の席に「俳優座」の校長先生が座り、
君は一番で入ったんだよ
と、言われ、
忙しいのはわかってるから、来られるときに来なさい
と、気を遣ってもらったのだそうです。
(芳村さんによると、当時、映画女優は五社協定の関係でテレビに出演できず、また、タレントがいない時代だったため、芳村さんのようなモデルは、人手不足を埋めるとても便利な存在だったのだそうです)