高校卒業後は、役者を目指して上京し、劇団付属養成所「テアトル・エコー」で演劇活動を始めるも、やがて、一人でもできる芸を身につけたいと考えるようになった、中村ゆうじ(なかむら ゆうじ)さんは、フランス・パリでパントマイムの修行をしたそうです。

「中村ゆうじは中学時代に演劇の楽しさに目覚めていた!」からの続き

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フランス・パリでパントマイムの修業

自分一人でもお客さんを笑わせることができる芸を身につけようと模索する日々を送っていた中村さんですが、1977年、パントマイムを教えるために来日していたドイツ人、ロルフ・シャレさんと出会うと、ロルフ・シャレさんのパフォーマンスに感動。

これは絶対に身につけないといけない!

と、思ったそうで、

1987年、単身、フランス・パリに渡り、パントマイムの修業に励んだそうです。

コメディアンとして活動していた

ちなみに、中村さんは、パリに行くまでの、24歳から27歳までの3年間は、劇場でコメディアンとして活動していたそうですが、

劇場の主役はあくまで女優だったため、女優より目立たず、また、お客さんに受けすぎずを心がけていたそうで、ここで培ったことが今でも役に立っているとのことでした。

パントマイムは日本人がやると猿マネにしかならなかった?

さておき、パントマイムの修業をするべく、単身パリに渡った中村さんですが、本場のパントマイムに触れていくうち、パントマイムは欧米人のものだと感じるようになったそうです。

というのも、パントマイムは、ヨーロッパ人の生活そのものからできたもので、日本人である中村さんがやっても、どうしてもしっくりこず、ただの猿マネにしかならなかったというのです。

(中村さんによると、歌舞伎の中にヨーロッパ人が一人だけ混ざっているような感覚なのだそうです)

独自のパントマイムを確立

そのため、中村さんは、失意のまま帰国し、

パントマイマーを名乗るのをやめよう

と、思うほど落ち込んだそうですが、

やがて、子供の頃から習っていた武道の動きを基礎にパントマイムを組み立てたらどうかと思いつくと、試行錯誤の末、中村さん流のパントマイムを確立したのだそうです。

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ヨーロッパではパントマイムは最下層の芸人が道端で披露する芸?

ちなみに、日本では、パントマイムは、芸術的なパフォーマンスとしてとらえられていますが、中村さんによると、ヨーロッパでは、最下層の芸人が道端で披露するような芸だそうで、舞台に立つどころか、劇場の中に入ることさえ許されないのだそうです。

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