1979年、阪神タイガースの投手・小林繁さんの形態模写でブレイクし、翌年の1980年には、シングル「Mr.アンダースロー」で歌手デビューするも、東京ではさっぱりだった、明石家さんま(あかしや さんま)さんですが、関西ではアイドル的な人気を博していました。

「明石家さんまの若い頃は小林繁の形態模写で関西でブレイク!」からの続き

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「ヤングおー!おー!」での愛称は「チャッピー」

東京進出は叶わなかったさんまさんですが、それでも、桂三枝(現・桂文枝)さんに誘われて出演していた、人気番組「ヤングおー!おー!」では人気を博しており、

1978年頃からレギュラー出演するようになると、三枝さんの愛称が「サニー」だったことから、「サニー&〇〇(さんまさんの愛称)」でいこうということになったそうですが、

三枝さんが「サニー」ならさんまさんも「サニー」ということになってしまい、同じ愛称という訳にもいかず、さんまさんが、

サムもおかしいなぁ…

と、言うと、

三枝さんは、

なんか、もっと可愛らしいヤツや。チャッピーがエエんちゃうか?

と、「チャッピー」に決定したのだそうです。

ただ、さんまさんは、

なんやねん、チャッピーって

俺も、「サニーです」で、Wサニーでエエやんか。

(毎週、番組で)僕が「チャッピーです!」って言って。もう、チャッピーって言うのが苦痛で(笑)

夕方5時くらいから収録なんですけど、2時くらいから「あと3時間後にチャッピーって言わなアカンわ」って思ってて。

と、この「チャッピー」という愛称が嫌で嫌でたまらなかったことを明かされています(笑)


「ヤングおー!おー!」より。桂三枝さん(左)とさんまさん(右)。

昔のギャグは「エヘヘ」

ところで、この「ヤングおー!おー!」は、1969年放送開始のバラエティ番組で、司会を務めていた桂三枝さんを中心に、当時の若手芸人が数多く出演していたのですが、

さんまさんは、この番組で、小林繁さんの形態模写をテレビで初めて披露したほか、ギャグ「エヘヘ」も披露されていたそうです。


「エヘヘ」を披露するさんまさん

桂三枝(桂文枝)からよく怒られていた?

ちなみに、さんまさんは、この頃、仕事の移動中の飛行機の中で騒ぎ、

三枝さんから、

お前らぁ、静かにせえ!公衆道徳をもっているんか?どういうこっちゃ

と、怒られたほか、よく、三枝さんから怒られたと、テレビで面白おかしく披露されているのですが、

三枝さんはというと、さんまさんを怒った記憶がまったくなく、飛行機の話もまったく覚えていないそうで、そろそろ昔の話は封印してほしいとおっしゃっているそうです(笑)

「サニーズ・オオサカスペシャル(S.O.S)」で司会者に

そんなさんまさんは、次第に頭角をあらわし、「ヤングおー!おー!」内で、4代目林家小染さん・月亭八方さん・桂きん枝さん・桂文珍さんと、ユニット「サニーズ・オオサカスペシャル(S.O.S)」を結成すると、

先輩たちを差し置いて、1コーナーを任されるほどの人気を博し、やがて、関西を中心に、アイドル的な人気を誇ります。


「サニーズ・オオサカスペシャル(S.O.S)」。(左から)月亭八方さん、桂きん枝さん、さんまさん、4代目林家小染さん、桂文珍さん。

そして、同番組に出演してから5年後の1981年4月(25歳)には、三枝さんから後継司会者に指名され、1982年に番組が終了するまで、2年9ヶ月に渡って、同番組の大黒柱として活躍されたのでした。

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悔しさをバネにしていた

そんな、トントン拍子ともいえるさんまさんですが、いつ頃かは不明ですが、若手時代、ブレイクしたさんまさんのことを、

あんなもん、すぐ人気なくなるから

と、「吉本興業」のマネージャーが言っているのを知ったことあったそうです。

ただ、

コイツら、俺で稼いでおきながら、何を言うてけつかんねん

と、その悔しさをバネにしたそうで、そんな経験から、

褒められるより、貶される(けなされる)方が力になる。

と、おっしゃっていました。

「明石家さんまは昔最愛の弟を火事で亡くしていた!事件の真相は?」に続く

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