一瞬で役になりきることができるなど、天才的な演技で、視聴者のみならず、映画監督や共演者からも絶賛された、田中裕子(たなか ゆうこ)さんですが、プライベートでは、沢田研二さんと不倫の末に結婚されています。今回は、そんな田中さんと沢田さんの馴れ初めなどについてご紹介します。
「田中裕子のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き
沢田研二との馴れ初め
田中さんは、1989年、沢田研二さんと結婚されています。
田中さんは、もともと、沢田さんのファンだったそうで、1982年4月、再結成した「ザ・タイガース」のコンサートで、沢田さんと初対面すると、同年、映画「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」では、沢田さんと初共演され、
(沢田さんが田中さんのファンだったとも言われており、沢田さんは、田中さんを自分の番組にゲストで呼んだり、田中さんのコンサートのプロデュースや作詞作曲も担当するほか、音楽番組「夜のヒットスタジオ」に2人そろって出演されたこともあったそうです)
1983年夏頃には、沢田さんが田中さんのマンションに足繁く通う姿が目撃されるようになるほか、地方のコンサートで2人の仲睦まじい写真が撮られるなど、この頃から、お二人の交際が噂されるようになります。
「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」より。田中さんと沢田研二さん。
不倫略奪婚と話題に
しかし、沢田さんは、当時、双子の女性デュオ「ザ・ピーナッツ」の双子の姉で、7歳年上の、伊藤エミさんと結婚されていたため、田中さんと沢田さんの恋は、不倫としてマスコミを賑わせます。
やがて、沢田さんは家に帰らなくなり、
田中さんが、
必ず彼と一緒になる
とマスコミを通じて宣言すると、
沢田さんもまた、不倫を認める発言を公の場で繰り返し、
1985年には、田中さんが「文学座」を退団、沢田さんも、デビュー以来所属してきた「渡辺プロダクション」から独立されたのでした。
(この不倫報道の影響で、それぞれ、ケジメをつけるためだったのでは、と言われています。)
沢田研二は伊藤エミと一人息子を残して家出していた
ちなみに、当時、某週刊誌には、
沢田さんが、
妻(ザ.ピーナツの前妻・伊藤エミさん)は私の大ファンでプロダクションの社長が社の功労者である妻から相談を受けて僕も断れなかったから結婚した。本当は大恋愛の末の結婚が夢だった
と、友人に話していたという記事が掲載されたほか、
沢田さんの友人たちも口を揃えて、
ジュリーの初めての恋だ
と、言っていたそうですが、
1986年、ついに、沢田さんは、伊藤さんと一人息子を残し、判を押した離婚届を置いて家を出ると、1987年、正式に離婚されたのでした。
(沢田さんは身ひとつで家を出たそうで、テニスコートなどを含めた総額18億円ともいわれる資産は、ほとんどが慰謝料として伊藤さんに譲渡されたそうです)