絵を描くことが得意で、漫画家・手塚治虫さんを尊敬していたという、宮崎駿(みやざき はやお)さんですが、高校時代に描いていた漫画は、当時の劇画雑誌に倣い、恨みつらみを込めた、皮肉な結末の漫画だったといいます。
「宮崎駿の少年時代は手塚治虫の新寶島のファンだった!」からの続き
高校生の時は暗い漫画を描いていた
宮崎さんは、中学卒業後、当時、進学校だった東京都立豊多摩高等学校に進学されているのですが、勤勉実直で真面目な生徒でありながら、
密かに、そんな自分自身への反発、社会に対する不信感、両親から自立したい願望などがあったそうで、そんな本音や不満をぶつけた、シュールで暗い漫画を描き続け、漫画(劇画)家になるという志を抱くようになっていたそうです。
「白蛇伝」のヒロインに恋していた
そして、高校3年生の大学受験期の真っ最中には、鬱屈(うっくつ)とした日々を過ごしていたそうですが・・・
そんなある日、東映動画「白蛇伝」を観ると、恋する青年と結ばれるため、生死を顧みず行動するヒロイン、白蛇の精・白娘(パイニャン)に恋をし、いきいきと行動するヒロインの姿に我を忘れて涙したそうで、
ああ、これが作りたかったんだ。オレは純粋にオモシロイものを作りたいんだ。
と、気付き、同時に、アニメーションにも興味を持つようになったのだそうです。
「白蛇伝」
「白蛇伝」で純粋な世界に憧れている自分に気づく
ちなみに、宮崎さんは、その頃のことを、著書「出発点―1979~1996」で、
なぜ、そういう考えを持つようになったかといえば、私事になりますが、受験の暗ヤミの時期にちょうど劇画雑誌が出ていたことに端を発します。
そういった劇画雑誌には、世の中はうまくいかないものだということばかりを描いていた不遇の劇画家、特に大阪あたりに巣くっていた、巣くってなどと言うと大阪の人たちに申し訳ないですが(笑)、
その彼らが恨みつらみを込めて描いているものですから、ハッピーエンドがひとつもないわけです。なるべく皮肉に終わろうとんするんですね。それが、暗ヤミの受験生にとって一種の爽快感になっていたんです。
で、その頃すでに絵を描くことで将来生きていこうと思っていましたから、そういう劇画の恨みつらみみたいなものを書こうとしていました。
(中略)
ちょうどその頃「白虎伝」を見たんです。見て一種のカルチャーショックを受けたんです。劇画に対する疑問がぼくの中に宿ってきたんです。「オレが、いま描いている劇画は、本当に自分がやりたいことなのか、本当はちがうのじゃないか」と思ったんです。
もっと具体的に言えば、もっと素直にいいものはいい、きれいなものはきれい、美しいものは美しい、と表現してもいいのではないかと思ったのです。
と、綴っておられるのですが、
「日本映画の現在」のインタビューでも、
マンガ家を志望して、流行の不条理劇でも描こうとしていた自分の愚かさを思い知らされたのだった。口をつく不信の言葉と裏腹に、本心は、あの三文メロドラマの安っぽくても、ひたむきで純粋な世界に憧れている自分に気づかされてしまった。
世界を肯定したくてたまらない自分がいるのをもう否定できなくなっていた。それ以来、ぼくは真面目に何をつくるべきか考えるようになったらしい。少なくとも本心で作らなければダメだと、思うようになっていた。
と、語っておられます。
「宮崎駿が漫画家志望からアニメーター志望となった理由とは?」に続く