漫画家になる夢を捨てきれないまま、「東映動画」に入社し、アニメーションに携わるも、旧ソ連制作の長編アニメ「雪の女王」を観て感銘を受け、改めて、アニメーションの世界で生きていくことを決意された、宮崎駿(みやざき はやお)さん。今回は、そんな宮崎さんの、原点とも言える作品をご紹介します。
「宮崎駿は若い頃「雪の女王」を観てアニメーターになる決意をしていた!」からの続き
アニメ「ガリバーの宇宙旅行」で演出家としての才能を発揮
旧ソ連制作の長編アニメ「雪の女王」に感銘を受け、改めて、アニメーターとして生きていく決心を固めた宮崎さんは、
その後、先輩アニメーター・大塚康生さんの班で一動画マンとして、劇場用アニメ「ガリバーの宇宙旅行」(1965年公開)の製作スタッフとして参加すると、
もともと、人形型ロボットのお姫様が主人公の少年・テッドに救われて幸せに暮らす、というラストだったものを、ロボットの外皮が割れて中から人間の美少女が出てくる、という案を出し、これを自ら作画するなど、早くも演出家としての才能を発揮。
ちなみに、この、人間として生まれ変わったお姫様は、(ハイライトを入れているため)目がキラキラと輝き、夜明けの冷たい風を一身に浴びているのですが、
宮崎さんは、
アニメーションの属性の中に、ものを動かすだけでなく、精神的な意味でものが変化するということもあったんですよ。ところが物語に取り入れられたとたんにほとんど消えてしまった。僕はそういうの、やりたいですねぇ。
と、語っており、ロボットから人間として生まれ変わったお姫様の内面を、生き生きと描写されたのでした。
「ガリバーの宇宙旅行」
(ただ、作品全体としての出来栄えは、宮崎さんを含め、制作スタッフ間で評価が低く、子どもたちにも不評で、映画館では退屈した子どもたちが走り回っていたそうです。)
長編アニメ「太陽の王子 ホルスの大冒険」で初めて本格的にアニメ制作に参加
そんな宮崎さんは、1965年~1968年には、高畑勲さん、森康二さん、大塚康生さんらと共に、3年かかって、長編アニメ「太陽の王子 ホルスの大冒険」を制作されているのですが、
実質、宮崎さんが、初めて本格的にアニメ制作に携わったこの作品は、
評論家から、
日本の長編アニメが、はじめてディズニーを超えた
と絶賛されるほどの出来栄えだったそうです。
「太陽の王子 ホルスの大冒険」
「砂漠の民」では残酷な描写も
ただ、宮崎さんは、1969年9月~1970年3月、「秋津三朗」名義で発表された、宮崎さん初の公式オリジナル作品「砂漠の民」では、
11世紀初頭の中央アジア「飢餓砂漠」を舞台に、隊商を営む少数民族ソクート人が、覇権主義的な遊牧民キッタール人の侵略に抵抗して闘う姿を、主人公テムの恋人、親友、恩師などが次々と非業の死を遂げるショッキングで絶望的な展開で描写されているのですが、
子供のためのアニメーションを作りたいという考えと相反するような、「砂漠の民」での残酷な描写について、後に、
僕は映画と漫画とは違うと思ってるんですよ。映画の方がはるかに現実感が強いんです。時間が流れて行くし表現として強制しますからね。やっぱり子供は絵で描いた世界でもほんとにあった事と受け取るんです。
漫画は嫌だったらそのページ見なくていいし放り出してもいいんですけど、映画の場合はずっと強制力があるし現実感が強いから、簡単に血を流すことについても考えなきゃいけないと思ってるんです。
紙に描いた漫画っていうのは、紙の漫画だから許せる部分っていうのを持ってるんですね。
と、語っておられます。
(ちなみに、「砂漠の民」は、宮崎さんが「東映動画」の労働組合の機関誌に描いていた風刺漫画を評価されてオファーされたもので、アニメーションではなく、「週刊少年少女新聞」に漫画形式(当初は絵物語)で連載されていたそうですが、後の、漫画版「風の谷のナウシカ」や、絵物語「シュナの旅」の原点となったそうです)
「宮崎駿は「長靴下のピッピ」のアニメ化のため東映動画を退社していた!」に続く