高校3年生の時にジャズの虜になったというタモリさんは、早稲田大学のジャズクラブ「モダンジャズ研究会」に入りたかったことと、一人暮らしをしたかったことから、早稲田大学を受験したそうですが、
幼い頃から頭の回転が早く、高校も県内有数の進学校に進学していたにもかかわらず、二度も不合格となり、二浪してようやく早稲田大学に合格したといいます。
今回は、タモリさんが早稲田大学を二度も不合格となった背景や、早稲田大学時代の生活についてご紹介します。

「タモリの中高時代は?中学でマニアックな笑い!高校でジャズに目覚めていた!」からの続き
タモリは受験勉強中ぼんやりと過ごし早稲田大学を不合格となっていた
高校3年生の時、初めてジャズを聴いて衝撃を受けたというタモリさんは、「モダンジャズ研究会」がある早稲田大学に進学することを決意したそうで、受験までの一ヶ月間、東京・目黒の従兄弟のアパートに居候したそうですが、
(早稲田大学を目指したのは、国立大学へは行けそうもないが、地元の私立大学では面白くなく、早く家を出て一人暮らしをしたかったという理由もあったそうです)
そのアパートが石材店の裏にあったことから、毎日、その石材店をぼんやり眺めながら過ごし、
石材店の前の通りを挟んだ向かい側には、中国人の姉妹が住んでいたことから、その姉妹の家の前で、滅茶苦茶な中国語を大声でしゃべって、姉妹が「誰カ、キタカ?」と言っているのを聞いて、楽しんでいたそうで、
そんな日々の中、銭湯からの帰り道、坂を下りながら、
どうなるのかなぁ、俺は一体?
と、一抹の不安を抱えていたそうですが・・・
案の定、1963年、早稲田大学を受験するも不合格となってしまったそうです。
タモリは二浪して早稲田大学に合格していた
そんなタモリさんは、再び早稲田大学進学を目指し、浪人したそうで、東横線の都立大学駅近くに住んでいた、早稲田大学法学部に入った友人のアパートに居候し勉強に励んだそうですが・・・
あまりにも雑念が多く、六法全書の「売春禁止法」の項目を読んだり、座禅を組んで言葉の無用さを悟ったりして、一向に勉強に身が入らなかったそうで、
またしても、早稲田大学を不合格となってしまったのだそうです。
そして、もう一年、浪人(二浪)して、1965年、20歳の時、早稲田大学を受験すると、ようやく、早稲田大学第二文学部に合格したのだそうです。
タモリは早稲田大学時代、複数の友人の家に居候していた
その後、タモリさんは、居候させてもらっていた友人と共に、学芸大学駅近くに住む友人のアパートに移り、3人で住むようになると、早稲田大学付近に住む友人の下宿にも出入りするようになったそうですが、
(上の階に早稲田の学生が、下の階に大家さんが住んでいたそうです)
大家のおじさんと一緒にお酒を飲んだり、大家のおばさんのところでしゃべったりして、大家のおじさんとおばさんに可愛がられ、本来は、宿泊禁止だったところ、タモリさんだけは宿泊OKだったそうで、
タモリさんは、後に、
年寄りに対するアマチュアのインタビュアーとしては、ピカイチ、ですからねぇ……。戦前の事件とかを聞いて「そういうことですか、真相は!」と。まぁ、当時から、「いいとも」やってたんですね
と、語っており、
おじさんもおばさんも、タモリさんと一緒にいることが楽しかったようです。
タモリは早稲田大学時代、名古屋出身の友人のアパートにも居候し後の名古屋人ネタのベースを作っていた
そんなタモリさんは、名古屋出身の友人のアパートにも居候していたことがあったそうですが、
(後に、この友人は、漫画家・赤塚不二夫さんの自宅で自作のラジオドラマパロディを作る「劇団仲間」のメンバーとなっています)
その友人のお兄さんが、ビブラフォンとマリンバの有名な奏者で、テープレコーダーやステレオなど高価な機材を所有していたことから、そこで、番組のパロディなどを作って遊んだりもしたそうです。
(タモリさんは、この兄弟と親しくなることで、名古屋人の特性を知ったそうで、後に、テレビやラジオなどで、名古屋弁や名古屋人の行動パターンを揶揄するネタのベースとなったのだそうです)
タモリは早稲田大学時代、貧乏生活だった
とはいえ、早稲田大学時代は、貧乏生活だったそうで、
タモリさんは、
僕が入学したのは昭和三十九年なんですが、その頃はまだ学生が貧乏でしたよ。学生の雰囲気も今とは全く違いますね。あの頃は慶応なら慶応、早稲田なら早稲田っていう学校の雰囲気があったんですよ。
今はもう同じような感じですね。それと、地方出身者が少なくなったのかな。昔は地方が多かったですよね。地方の稲門会の組織がしっかりしていたし。
「蛮カラ」も残ってましたね。「貧乏」を逆に自慢するようなところもあったしね。ひどい貧乏ですよ。ご飯炊いて醤油だけで味付けて食べてる奴とか、仕送りが来た時に大量にインスタントラーメンを買い込んで、そればっかり食べてて身体をおかしくした奴とかね。
靴の先のところが開きながら歩いている奴がいるんですよ。前から見ると靴が地面から離れてない(笑)。大学は、下駄が禁止なんですよ。授業中にうるさいから。でも、貧乏で下駄しか買えない奴がいたりね。僕も貧乏でしたね。でも、まだいい方だったかな。だから、今の学生がマンションなんかに住んでるのは信じられないですね。
と、語っています。
「タモリは早稲田大学モダンジャズ研究会で司会者として人気を博していた!」に続く
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浪人生活中はなかなか勉強に身が入らず、早稲田大学の受験に二度失敗するも、二浪の末ようやく早稲田大学に合格すると、早稲田大学時代は、友人の家を転々としながら、楽しく過ごしたという、タモリさん。 そんなタモリさんは、かねてより憧れだった「モダンジャズ研究会」では、トランペットは酷評されたものの、面白いしゃべりを評価されて司会に転向させられると、司会者として人気を博したといいます。








