1978年、学業に専念するという理由で、突然、芸能界を引退し、世間を驚かせた、南沙織(みなみ さおり)さんですが、実は、それまでに2度引退を宣言し、撤回していた過去があったといいます。今回はそんな南さんの、本当の引退理由について調べみました。
「南沙織は昔人気絶頂期に引退していた!」からの続き
「バーニングプロダクション」に不満を募らせていた
実は、南さんが最初に所属した「バーニングプロダクション」は、デビュー前には、「住まいを用意する」「学校にもちゃんと行かせる」と約束していたにもかかわらず、
実際には、ホテル住まいや社長宅での居候だったほか、売れてくると仕事を詰め込まれ、学校にはほとんど行かせてもらえなかったそうで、挙句の果てには体を壊し、ドクター・ストップ。
それでも、仕事を強行させられ、結果、入院したこともあったそうで、南さんは、そんな「バーニングプロダクション」に不満を募らせていたのだそうです。
(1970年当時、もっぱら、芸能人はプロダクションの所有物であると考えられており、南さんに限らず、売れている芸能人は皆、殺人的なスケジュールをこなすことを余儀なくされていたようです)
最初の引退宣言は恋人の存在を暴露されたことが原因
そんな中、1972年には、恋人の存在が女性週刊誌などで取り沙汰されたことから、
南さんは、テレビ番組「モーニングジャンボ」に出演された際、
歌が好きで芸能界へ入ったけど、この世界は失望することばかり・・・。今日かぎり私は、こんな芸能界から引退します。
と、引退を宣言。
ただ、この引退宣言はすぐに撤回されたのだそうです。
2度目の引退宣言
そして、1975年には、学業に専念したいと、2度目の引退宣言され、
その直後、音楽ユニット「Kとブルンネン」の鈴木豊明さんとの交際が噂されたことから、結婚するのではと思われたのですが・・・
その後の情報はなく、結婚の話は立ち消えとなり、またも、引退宣言を撤回。
バーニングプロダクションからT&Cに移籍するも・・・
その後、1977年、南さんは、ついに、「バーニングプロダクション」を退社し、「T&C」に移籍されているのですが、
歌唱力はあるものの、イメージ的に中途半端で売りにくく、かといってキャバレー巡りができるほど営業向きでもなく、バラエティ、テレビドラマ、映画などを器用にこなすことができる訳でもない南さんを、「バーニングプロダクション」が持て余した末に手放したと噂されました。
それでも、「T&C」は南さんを、「バーニングプロダクション」時代よりも高い、月給200万円プラスアルファーという高待遇で迎えたそうですが、
やがて、「T&C」は、当時一世を風靡していた「ピンクレディ」を押し出すことに全ての力を注いだそうで、歌謡界で「ピンクレディ」の先輩にあたる南さんにとっては、面白くなくなり、
一方、「T&C」も、事あるごとに、学校へ行きたい、という南さんに手を焼き、お給料の割に稼ぎにならない南さんを持て余すようになっていったそうで、
このことから、「タレントは消耗品」という音楽業界の現実を身をもって知った南さんは、引退願望を再燃させると、3度目の正直で、本当に引退してしまったというのが本当のところのようです。
(ただ、南さんは、これまでに2度も引退宣言を撤回していたことから、芸能記者や業界関係者は、引退というのは表向きの理由で、本当のところは事務所を移籍するだけだろうと誰もが思ったようです。)
「南沙織の旦那は篠山紀信!息子はタレントの篠山輝信!」に続く