1971年、ファーストシングル「17歳」が大ヒットを記録すると、その後も立て続けにヒットを連発し、たちまち、人気アイドルの頂点に上り詰めた、南沙織(みなみ さおり)さんですが、人気絶頂だった1978年、突然、芸能界を引退してしまいます。

「南沙織が若い頃はデビュー曲「17歳」で大ブレイクしていた!」からの続き

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突然の引退

1971年、いきなり、デビューシングルの「17歳」が大ヒットすると、その後も、次々とヒットを連発し、1978年にも、25枚目のシングル「春の予感 -I’ve been mellow-」が大ヒットを記録するなど、安定した人気を誇っていた南さんですが、


「春の予感 -I’ve been mellow-」より。

同年7月3日、自身のバースデーパーティーで、突如、9月いっぱいでの歌手引退を発表すると、同年10月7日に調布市市民福祉会館で開催された「さよならコンサート」をもって、歌手活動を含めた芸能活動を引退してしまいます。

そして、引退の翌年の1979年、24歳の時には、写真家の篠山紀信(しのやま きしん)さんと結婚し、主婦業と子育てに専念してしまったのでした。


南さんと篠山紀信さん。

14年ぶりに歌手復帰も・・・

それでも、1991年末には、「第42回NHK紅白歌合戦」で復帰し、14年ぶりに歌手活動を再開すると、その後は、家庭優先で歌手活動を続けられていたのですが、

1997年、シングル「初恋」をリリースして以降は完全に歌手としての活動はストップ。


「初恋」

2011年には、久々に、東京新聞の朝刊(1月17日付)で、「この人-南沙織さん」として、顔写真つきで記事が掲載されると、生まれ育った沖縄県の普天間基地移設問題に関してコメントされるも、

デビュー40周年をきっかけに歌手活動を復帰することについては、「もう声、出ませんよ」と、首を横に振りながら完全否定されたのでした。

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引退理由は?

ちなみに、気になる、南さんの引退理由ですが、南さんは、当時、在学中だった上智大学で学業に専念するためと語っており、

(南さんは、1974年、20歳の時、デビュー前から通っていた沖縄のインターナショナルスクールを5年かけて卒業された後、上智大学に進学されていました。)

引退後は、上智大学国際学部比較文化学科の学生として3年間勉強し、できれば大学院に残りたいとも語っていたのですが・・・

本当の理由は別にあったようです。

「南沙織が芸能界を引退した本当の理由とは?」に続く

「第42回NHK紅白歌合戦(1991年)」より。

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