1965年、NHKのテレビドラマ「あしたの家族」での共演で伊丹十三さんと知り合うと、当初は、おしゃれで時代の最先端を走っていた伊丹さんを別世界の危険な人だと警戒心を抱いて距離を取るも、ついには伊丹さんの度重なるアプローチを受け入れて交際に至り、結婚したという、宮本信子(みやもと のぶこ)さんですが、結婚生活はまるで師匠と弟子の生活だったといいます。
宮本信子は結婚当初は夫・伊丹十三の美意識についていくのが大変だった
伊丹さんの度重なるアプローチを受け入れ、ついに交際に至ったという宮本さんですが、実は、宮本さんが伊丹さんと交際を始めた当初、伊丹さんは既婚者で不倫関係だったといいます。
それでも、その後、伊丹さんの離婚が成立し、めでたく結婚に至ったそうですが・・・
伊丹さんはとても美意識が高い人だったそうで、宮本さんは伊丹さんの気に入るようについていくのに苦労したといいます。
例えば、結婚当初、宮本さんは、伊丹さんから、いきなり、「このとおりにやればいいんだからね」と、分厚い立派な料理本をバンと机の上に3冊ほど置かれたことがあったそうで、
この時は、
困った! 私、大変なことになっちゃった!
と、焦りつつも、
結婚したら何があっても添い遂げるもの
と、思っていたことから、
文句は言わず、なんとか、本に書かれていた通り、鰹節(かつおぶし)を削って出汁をとって作ってみるなど、必死で伊丹さんに合わせていたのだそうです。
(ただ、この時、宮本さんは、伊丹さんは本当に「おいしいもの」が好きなんだとしみじみ理解できたそうです。そんな伊丹さんはまずいものは一切食べなかったそうですが、決して高級志向という訳でもなく、フレンチやイタリアンといった本格的な料理を好む一方で、ソース焼きそばやカレーパンなどを衝動的に求めることもあったそうで、安くても「おいしいもの」が好きだということが分かってきたそうです)
宮本信子は結婚当初はトイレにこもって泣いていた
ただ、伊丹さんは、料理のほかにも、
- お醤油はわざわざ和歌山の醸造所から調達する
- 料理を盛り付ける食器や洋服にもこだわりがあり、趣味に合わない食器や洋服を用意すると、すべて実家に送り返していた
- 湯河原の家の庭にある石畳を、選定から並べ方まで、ひとりで黙々と納得がいくまでやっていた
など、食べ方、家具、洋服、住まいの趣味に至るまで、徹底したこだわりと美意識をもっていたそうで、
宮本さんは、
伊丹さんは私を自分の思うような女房像そのままにしようと思ったんでしょう。だけど、私はことごとくできない。料理でも、皿が違うとか、そもそもこの料理がどうとか言って手つけてくれませんからね。
「ごはん、なに作ろうかしら?」なんて言うと「そういうことは聞くもんじゃない」「何時に帰るんですか?」と言うと「そういうことは聞くもんじゃない」
と、ついていくことができず、結婚当初はよく、トイレにこもって泣いていたのだそうです。
宮本信子が伊丹十三に勝った唯一の出来事とは?
そんな宮本さんですが、結婚生活の中で、唯一、宮本さんの意見が通った(勝った)出来事があったといいます。
それは、子どもを持つことについて、伊丹さんと話し合いをしていた時のことで、
「子どもがほしい」と言う宮本さんに対し、伊丹さんは、
いらない。自分に似たような子はいらない。自分が嫌いだ
世界は人口が増えていて、増え続けると食糧難になる
と、反対。
普段なら、伊丹さんの言うことを素直に聞いて、受け入れていた宮本さんでしたが、この時ばかりは自分の意見をひっこめることができず、
でもね、(将来、あなたと私が)2人死ぬでしょ。2人死ぬから2人はいいんじゃないですか
と、切り返すと、
さすがの伊丹さんも、「うっ」と、ぐうの音も出ず、宮本さんが見事、勝ったのだそうです(笑)
ちなみに、いざ、子どもが産まれると、伊丹さんは、それまでの発言がまるで嘘だったかのように子煩悩(ぼんのう)になり、その様子は、まるで「お母さん」のようだったとのことでした。
(伊丹さんは、1977年、トーク番組「徹子の部屋」に、5歳になる息子さんを連れて出演しているのですが、隣に座る息子さんを眺める伊丹さんの眼差しは、厳しい映画監督の顔からは想像できないほど、やさしいものだったそうです)
「宮本信子を最も高く評価したのは夫・伊丹十三だった!」に続く