1956年、ラジオ局を見てみたいとの好奇心から、ラジオドラマ「赤銅鈴之助」のオーディションを受けると、見事合格し、その後、テレビドラマ「まぼろし探偵」にも出演するも、当初は、女優になるつもりはなかったという、藤田弓子(ふじた ゆみこ)さんですが、ラジオドラマでの経験が忘れられず、やがて、女優を目指します。

「藤田弓子のデビューは小5の時のラジオドラマの声優!」からの続き

Sponsored Link

高校の時に女優になる決意をする

将来は、普通に高校へ行き、その後は大学に進学しようと考えていた藤田さんですが、ラジオドラマ「赤胴鈴之助」での、劇作家・穂積純太郎さんの指導のもと、全身全霊、心を込めて演じた経験が忘れられず、高校生の時、女優になる決意したそうで、

お母さんに、

女優になりたい

と、話したところ、

お母さんは、

絶対にやめないでね

と、この時も快く背中を押してくれたそうです。

(大学受験に失敗し、女優になるか結婚するかで真剣に悩んだ末、女優になる決意をしたという説もあるようです)

NHK朝の連続テレビ小説「あしたこそ」でヒロインに抜擢される

そして、自分で決めたからには一生の仕事にする、という覚悟を決めた藤田さんは、(映画に出演することが目標だったのですが)まずは、演技の基礎を身につけるため、「文学座」を受験すると、見事合格。

高校卒業後の1963年に「文学座」に入ると、その後は、演技を学び、1967年には、「カンガルー」で舞台デビューされているのですが、

1968年には、「文学座」の推薦で、NHK朝の連続テレビ小説「あしたこそ」のオーディションを受けると、いきなりヒロインに抜擢。華やかなテレビドラマデビューを果たしたのでした。


「あしたこそ」より。(左から)中畑道子さん、藤田さん、中村俊一さん、原田清人さん。

(この「あしたこそ」は、朝ドラ初めてのカラー放送だったため、メイクの色をどうするか、衣装は、照明は・・・とすべてが試行錯誤だったほか、撮影は1年半という長丁場だったことから、女優というよりはむしろ、スタッフの一員という立場で作り上げた作品だったそうです。)

「あしたこそ」のオーディションはかなり強い気持ちで臨んでいた

ちなみに、藤田さんは、

本当にきれいな人や劇団のもうスターになりかかっている人なんかも来ていたけど、私はなぜだか受かると思っていた。文学座を受けたときにもそうだったんですよ。

私は今でもそうなんだけど、人と比べないの。自分が精一杯やって、審査をやってる人たちも色々聞いてくれたりしていたので、もし落ちたとしても悔いはないなって。オーディションとかそういうときに絶対に悔いを残さないようにやるの。

文学座のときも本当に入りたかったし、朝ドラも本当にやりたかった。劇団に入っていたけど、これじゃいつになっても本当の女優にはなれないと思っていたし、女優のタマゴどころか研究生でしょう? 授業料を払っているわけだしね。ここで受かれば、プロになれるぞっていう気持ちがあったの。

やっぱりささやかでもお金が取れなきゃプロじゃないんですよ。それで生活ができるようじゃなければね。私は早く母とバトンタッチしてあげたかったの。母はずっと働いていましたからね

と、語っており、この「あしたこそ」のオーディションには、かなり強い気持ちで臨まれていたそうです。

Sponsored Link

「文学座」を退所

ところで、藤田さんにとって、「文学座」は、とても温かくて居心地の良い場所だったそうですが、だからこそ、自分を成長させるため、そして「文学座」の看板を外した自分の可能性を試してみたいと思い、1970年頃、「文学座」を退所されたそうですが、

「文学座」
の座長・杉村春子さんに挨拶に行った際、杉村さんは、

あなたは、可能性を試したいんでしょう?寂しいけどね。それが生きる道だと思うわ

と、快く送り出してくれたそうです。

「藤田弓子は昔「小川宏ショー」でサブ司会(アシスタント)をしていた!」に続く

Sponsored Link