芸能界引退後は、大学進学へ向けて受験勉強に励むも、あえなく不合格となり、浪人中、発作的に家出をしてしまった、水谷豊(みずたに ゆたか)さんですが、約2ヶ月後、自宅に戻ると、子役時代に知り合ったテレビプロデューサーから出演依頼があり、アルバイト感覚で芸能界に復帰。すると・・・
20歳の時に芸能界復帰
約2ヶ月間の家出の末、自宅に戻った水谷さんですが、経済的に苦しく、アルバイトを探していると、子役時代に知り合ったテレビプロデューサーから、
暇してるんだったら、 バイトのつもりでまたドラマにでも出てみないか?
と、電話があったそうで、
2年前に引退はしていたものの、渡りに船と、割のいいバイト感覚で、1972年、20歳の時、芸能界に復帰。
すると、そんな思いとは裏腹に、復帰直後から、立て続けに出演依頼が舞い込んだのだそうです。
(その中には、テレビドラマ「太陽にほえろ!」(1972年)の第1話での犯人役もあったそうです)
テレビドラマ「傷だらけの天使」で人気を博す
こうして、次々とアルバイト感覚で出演をこなしていた水谷さんですが、1974年、22歳の時、萩原健一さん主演のテレビドラマ「傷だらけの天使」で、萩原さん演じるアウトローの探偵・木暮修の弟分・乾亨役に抜擢されると、大ブレイク。
水谷さんは、情けなさを表現するため、当時、すでに時代遅れで、ダサくてかっこ悪い、リーゼント(ポマードを後ろになでつけたヘアスタイル)をトレードマークにして、修を兄貴のように慕う、女々しくて情けない、チンピラ風調査員の亨役を演じていたのですが、
(亨のどこか女々しさを感じさせるところや、修と同性愛的な関係を匂わせるため、役作りとして、新宿2丁目に足繁く通っていたとも言われています。)
回を重ねるごとに主役の修をしのぐほどの人気を博し、多くの若者たちが、水谷さんのこのリーゼントをマネたそうで、水谷さんは、それほど世間に大きな影響を与えたのでした。
「傷だらけの天使」より。水谷さん(左)と萩原健一さん(右)。
「傷だらけの天使」への出演は萩原健一の推薦だった
ちなみに、この、「傷だらけの天使」の亨役、実は、最初に候補に上がっていたのは、火野正平さんだったそうですが、
火野さんは、NHK大河ドラマドラマ「国盗り物語」でブレイクした直後だったため、次作「斬り抜ける」などのレギュラー番組が次々と決まり、スケジュールが取れなかったそうで、
(火野さんを面接した恩地監督はイメージが違うと判断していたそうですが)
そんな時、萩原さんが、主演ドラマ「太陽にほえろ!」の第1話で共演した水谷さんを、
豊ちゃんは、ひたむきだし、いつも一生懸命やる子だった
と、推薦され、水谷さんが亨役に抜擢されたそうで、
水谷さんは、そんな萩原さんとの思い出を、
『太陽にほえろ!』で僕が犯人役、萩原さんが刑事役で一度共演して以来でした。『傷だらけ』が始まって間もなく、萩原さんの自宅に招かれ『泊まってけよ』と言われて、その晩、『一緒に風呂入ろう』って言って、2人でお風呂に入ったんですよ。
『背中を流し合おう』って。そういうところから始まってるんです。芝居をやる以前に関係を作ってくれたんです。それがすごく印象深いし、随分一気に人間関係が近づいた気持ちにしてもらえましたね
と、語っておられました。
「水谷豊は昔「熱中時代」の熱血教師・北野広大役で大ブレイクしていた!」に続く