18歳で早くも芸能界を引退するも、20歳で芸能界に復帰すると、22歳の時には、テレビドラマ「傷だらけの天使」に出演し、再び注目を集めた、水谷豊(みずたに ゆたか)さん。この後も、水谷さんの快進撃は続きます。

「水谷豊が若い頃は「傷だらけの天使」で人気を博していた!」からの続き

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「傷だらけの天使」を最後に受験勉強に専念するつもりだった

18歳の時に芸能界を引退して大学を受験するも失敗し、浪人中にアルバイト感覚で俳優業に復帰していた水谷さんですが、1974年、22歳になっても、まだ浪人生活を送っていたそうで、

押し寄せるアルバイト(出演オファー)に受験勉強がままならず、次の作品(「傷だらけの天使」)を最後に、受験勉強に集中しようと、決意されていたそうですが、

この「傷だらけの天使」で、主演の萩原健一さんの弟分役を演じると、たちまち人気を博したことから、引き続き俳優活動を続けることに。

「青春の殺人者」で「キネマ旬報賞主演男優賞」を受賞

そんな水谷さんは、1975年には、「東京湾炎上」(石田勝心監督)でテロリスト役を熱演すると、


「東京湾炎上」より。

1976年には、深い理由もなくふとしたことから両親を殺してしまった青年の戸惑いと苦悩を描いた「青春の殺人者」(長谷川和彦監督)で主人公・斉木順の戸惑いと苦悩を見事に表現し、「キネマ旬報賞主演男優賞」を最年少の24歳で受賞されます。


「青春の殺人者」より。

「赤い激流」では本当にピアノを弾いていた

また、水谷さんは、1977年、テレビドラマ「赤い激流」では、天才的な才能を持つピアニスト役を演じられているのですが、

水谷さんはもともとピアノが弾けなかったことから、35万円でピアノを購入し、なんと、たった4日間の猛特訓で、「エリーゼのために」を全曲弾けるようになり、

劇中、ショパンの「英雄ポロネーズ」、リストの「ラ・カンパネラ」、ベートーベンのピアノソナタ17番「テンペスト」を実際に弾かれたのだそうです。

(ちなみに、2005年、「相棒 Season3」第15話「殺しのピアノ」でも、同じく「英雄ポロネーズ」を演奏するシーンがあるのですが、実際に使われているのはプロが演奏した音であるものの、水谷さんの指の動きは本当に弾いているかのような素晴らしい動きだったそうです。)


「赤い激流」より。

主演ドラマ「熱中時代」の熱血教師・北野広大役で大ブレイク

そして、1978年には、小学校を舞台に、当時、社会問題になり始めていた教育現場において、さまざまな困難に立ち向かっていく教師の姿を描いたテレビドラマ「熱中時代」で、

北海道出身の純朴な熱血教師・北野広大役を演じられると、視聴率は、放送開始3日目で20%を超え、13回目では30%、最終回では40%を超える高視聴率を記録。


「熱中時代」より。

北野広大が「理想の教師像」として社会現象となるほか、北海道訛(なま)りのある話し方が流行するなど、この作品で、水谷さんは、これまで数多く演じてきた、アウトローやどことなく陰のあるイメージを見事払拭し、大ブレイクを果たされたのでした。

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「熱中時代」では本物の教師をモデルにしていた

ところで、水谷さんは、役作りのために、中学の教師になった同級生を尋ね「教師とは何か」を聞くほか、小学生時代に大好きだった先生の口調をそっくりそのまま真似るなど(水谷さんは、8歳まで北海道に住んでいました)、実在の教師をモデルにされたそうですが、

水谷さんは、自分が本物の教師となって生徒役の子役たちと向き合えば、そこは仕事現場ではなく本当の教室のようになり、いいドラマができるに違いないと考え、撮影の合間や休憩中も、子どもたちと触れ合い、子どもたちの相談に乗ったりしていたそうで、

そんな水谷さんの気持ちが伝わって、次第に子どもたちも打ち解けていき、水谷さんのことを、俳優ではなく、まるで本物の教師のように慕うようになっていったのだそうです。

(この「熱中時代」の成功を受け、「3年B組 金八先生」など、数多くの学園ドラマが作られることとなったのだそうです)

「水谷豊の大ヒッドラマ「相棒」は当初は単発ドラマだった!」に続く

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