1970年、27歳の時、テレビドラマ「柔道一直線」で大ブレイクすると、その後は、数多くのテレビドラマや映画に出演された、近藤正臣(こんどう まさおみ)さんですが、1973年には、NHK大河ドラマ「国盗り物語」で明智光秀役、1978年には、「黄金の日日」で石田三成役を演じ、二枚目俳優として確固たる地位を確立します。
「近藤正臣のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き
NHK大河ドラマ「国盗り物語」で明智光秀役
近藤さんは、1973年、31歳の時、「美濃の蝮(まむし)」の異名で知られる斎藤道三と、道三の意思を継ぎ天下統一へと進んでいく織田信長の姿を描いた、大河ドラマ「国盗り物語」で、明智光秀を演じられているのですが、
近藤さんは、戦国時代に「本能寺の変」を起こし、日本史上で重要かつ人気の高い戦国武将である、明智光秀に起用されたことに対し、
まだ若かったので、大河ドラマに出演するというのは夢のような気分でしたね。必死だったと思うし、いま振り返っても現場の記憶というのがほとんどないんです。
まさに“夢中”というのはそういうことで、夢の中だったんですね。この役をいただいたことが嬉しくてありがたくて、『国盗り物語』の中での明智光秀をどう演じるのかということをずっと考えていました。
と、夢中で演じたそうで、明智光秀の役作りについては、
まず思ったことは、“才能はあるけれど居場所の少ない男”というものでした。彼は、大きな会社、つまり力のある大名に勤めなければいけないと織田家に入ります。
しかし、織田家は社長がすごいから大きな会社になったけれど、それがすご過ぎて光秀としては、どうにもうまくいかなくなる。我慢しなくてはこの場所にいることはできないと思いつつ、その我慢が溜まりに溜まっていった。
同時に光秀の理想というものがあり、それはただ単に戦に勝てば良いというものではなかったのではないか。そこが社長である信長とのずれになる。そんなことばかりを探りながらやっていた記憶があります。
と、明かされています。
NHK大河ドラマ「国盗り物語」より。
また、
あとは、足利義昭を演じられた伊丹十三さんをはじめ、平幹二朗さんなど、偉大な先輩の役者さんたちを見て「ああ、役者ってこんなふうにやっていいんだ」と、いろいろなことを見させていただくことができた作品でした。
とも、語っておられ、NHK大河ドラマならではの、様々な先輩俳優たちとの共演も大きな糧とされたようです。
(近藤さんは、1970年、「樅ノ木は残った」で、NHK大河ドラマ初出演を果たしているのですが、この時は端役でした)
「国盗り物語」より。近藤さん(左)と火野正平さん(右)。
「黄金の日日」では石田三成役を爽やかに演じる
そんな近藤さんは、1978年には、NHK大河ドラマ「黄金の日日」で、石田三成役を演じられているのですが、
これまで、石田三成といえば、狭量で小賢しく、主君・豊臣秀吉の権勢を笠に着て横柄に振る舞っていたことから人望もなく、挙句の果てには豊臣家を破滅に導いた男、と評価の低い人物として描かれることがほとんどだったところ、
この「黄金の日日」の石田三成は、爽やかで、主君となった豊臣秀吉に誠心誠意尽くし、その後は、邪心を持った徳川家康に対峙する正義感にあふれる武将として描かれており(原作者・城山三郎さんは、石田三成像に新たな解釈を与えたそうです)、
近藤さんも、そんな石田三成像に応え、魅力的に演じたことから、歴代石田三成を演じた俳優の中でも、特に近藤さんの人気が高く、いまだにネット上では、その素晴らしさが語り継がれています。
「黄金の日日」より。佐吉(後の石田三成)に扮する近藤さん。
「黄金の日日」では石田三成の苦悩も表現していた
また、それゆえに、主君・豊臣秀吉からの無理難題や、膨大な仕事量に苦悩する石田三成(近藤さん)の姿が、現在の中間管理職さながらというのも、「黄金の日日」での石田三成の人気が高い理由の一つのようです。
「黄金の日日」より。千利休の切腹の理由を豊臣秀吉から説教され、苦悩する石田三成を演じる近藤さん。
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