映画「ロッキー」が世界的に大ヒットして以来、40年以上も第一線で活躍されている、シルベスター・スタローン(Sylvester Stallone)さんですが、出産時の医療ミスで、左顔面麻痺と言語障害となり、少年時代はイジメられていたといいます。
「シルベスター・スタローンの母親はお騒がせの占星術師!父親は?」からの続き
出産時の医療ミスで左顔面麻痺と言語障害に
スタローンさんは、鉗子分娩(かんしぶんべん)で生まれたそうですが、医師が鉗子の取り扱いを誤り、顔面の左側神経が傷つけられたそうで、その後遺症として、左の顔面が麻痺して、左目、左側の唇が垂れ下がったうえ、言語障害になってしまったそうです。
(鉗子分娩とは、難産を助けるため、鉗子という金属製の2枚のへらを組み合わせたはさみのような器具で赤ちゃんの頭を両側からはさんで引き出す分娩方法のことを言うそうですが、はさみ加減や引き出す時の力加減など、鉗子の取り扱いや操作が難しいことから、かなり熟練の産科医しかできないそうです)
赤ちゃんの頃のスタローンさん。
少年時代はイジメられ内向的な性格だった
そのせいで、特徴的な顔となり、舌足らずな話し方だったスタローンさんは、常にイジメられ、内向的な性格になったそうで、
スーパーヒーローコミック、映画などに夢中になり、学校の制服の下にスーパーヒーローのコスチュームを着て通学するほか、スーパーマンのように空を飛ぼうと、自分の部屋の窓から飛び出すなど、空想することが好きな少年だったそうです。
少年時代のスタローンさん。
14もの学校を退学処分に
そんなスタローンさんは、1957年、11歳の時、両親が離婚すると、やがて、すさんだ生活を送るようになったそうですが、
(小学校から高校を卒業するまで、なんと14もの学校を退学処分になったそうで、高校の卒業アルバムでは、「将来電気イス行きになる可能性アリで賞」という賞に選ばれたという話もあるとか)
映画「ヘラクレス」(1958)を観て、主演のボディビルダーで映画俳優のスティーブ・リーブスさんの男らしさに憧れるようになると、身体を鍛え始めたそうです。
(道具を買うお金がなかったことから、地元の廃品集積場で自動車のパーツを失敬して、筋トレマシーンを自作されたそうです)
「ヘラクレス」出演時のスティーブ・リーブスさん。
スイスの学校で演劇と出会う
その後、スタローンさんは、高校を卒業すると、美容師学校へ入学するも中退。ただ、1965年、18歳の時、心配したお母さんに、スイスのレザンというところにある「American School of Switzerland」に留学させられると、そこで演劇と出会い、本格的に俳優を志すようになったそうで、
帰国後は、生まれ育ったニューヨークから遠く離れたフロリダへ渡って、マイアミ大学演劇科に入学すると、俳優として舞台に立つほか、課題で脚本を書くようになったそうです。
オーディションには落選続きでホームレスをしていたことも
しかし、演技でも脚本でもまったく注目されず、悶々(もんもん)とする日々を送っていたそうで、ある時、スタローンさんは、勝負に出ようと、映画界へ飛び込む決意をし、マイアミ大学演劇科を中退すると、
1969年、23歳の時、大スターになることを夢見て、ニューヨークに戻り、片っ端からオーディションを受けたそうですが・・・落選ばかりだったそうです。
(当時のハリウッドは、正統派な2枚目スターが活躍していた時代だったため、顔に障害があり、舌足らずで、モソモソとしゃべるスタローンさんには、かなり厳しい状況だったそうです)
ちなみに、スタローンさんは、その間、エキストラや端役で食いつなぐ日々を送るも、家賃が払えなくなり、アパートを追い出され、ニューヨークのバス停で何週間もホームレスをしていたこともあったそうです。
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