唯一無二の芸風で、7本ものレギュラー番組を持つまでになっていた、大竹まこと(おおたけ まこと)さんですが、1996年8月、死亡事故の当事者となったことから、猛バッシングを受け、全ての番組を降板し、自宅謹慎していたといいます。
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大竹まことが運転する車にオートバイが激突し運転者が死亡していた
大竹さんは、1996年、8月8日午前2時20分ごろ、東京都杉並区高井戸東の隘路(あいろ)を車で運転中、オートバイに激突されるという事故に遭っていたことが報じられているのですが、
ニュース記事によると、大竹さんが運転する車が交差点に差し掛かった時、二人乗りのオートバイが出会い頭に大竹さんの車体横に衝突し、オートバイを運転していた男性と後部座席に乗っていた女性が路上に投げ出されそうで、
大竹さんはすぐに車を停めて救急車を呼び、倒れている二人を、救急車が来るまで励まし続けたそうですが、女性は全身打撲のケガで済むも、男性は頭部を強打しており、翌日、搬送先の病院で「急性硬膜下血腫」で亡くなったのだそうです。
事故現場
落ち度はないも自宅に引きこもる日々だった
その後、目撃者の情報や警察の調べで、大竹さんは、酒気帯び運転や居眠り運転をしていた訳でもなく、信号も守っていたそうで、落ち度がないことがはっきりしているのですが、
当時、憎まれ役を演じていた大竹さんの世間からのバッシングは凄まじく、この影響で、大竹さんは、7本のレギュラー番組をすべて降板し、自宅謹慎。
大竹さんは、事故のあった夕方には、病院を訪れ、被害者の家族に謝罪したそうですが、その後は、「人を殺めてしまった」という罪の意識から、自宅に引きこもり、2日間飲まず食わずで、しばらくは当日のことを思い出すだけで、涙が出る状態だったそうです。
遺族の後押しで2週間ほどで仕事に復帰
しかし、亡くなった男性の母親から
(大竹さんの)芸能活動を再開させて欲しい
大竹さんには良くしていただいて恨みなど何も思っていません
と、テレビ局に連絡が入っていたとのことで、大竹さんは、2週間ほどで仕事に復帰。
ただ、当初は、
ボクの仕事は横から出てきて(他人を)なぎ倒す仕事。これからどう頑張ればいいのかわからない。
と、なかなか難しかったようです。
ビートたけしからの助言を実行していた
それでも、大竹さんは、ビートたけしさんから、
芸能人は絶対に謝罪で涙を流したり、感情を露にするなど“素”を観衆に見せてはいけない。次に何を演じても客が引いてしまう
との助言を受けていたことから、
復帰後、報道陣の囲み取材に対し、
(男女)どちらのご両親からも立派な言葉を掛けてもらいました
と、目を真っ赤に充血させながらも、決してカメラの前で涙を流さなかったそうで、
それまでの誠意ある対応と、(個人的な感情をぐっとこらえた)そんなたけしさんからの助言どおりの行動が功を奏し、以降は、周知の通り、現在まで活躍されています。
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