「やりくりアパート」「番頭はんと丁稚どん」と脚本家・花登筺(はなと こばこ)さんの作品に出演し、スターとなるも、ギャラは花登さんに管理されていてなかなか上がらず、家を建てた際にも、「誰のおかげであんな大きな家を建てた」と悪口を言われながら関係を続けていた、大村崑(おおむら こん)さんですが、ついに、決別することを決意します。
「大村崑は昔「細うで繁盛記」「どてらい男」で新境地を開拓していた!」からの続き
劇団「喜劇」の退団を決意
1957年、大阪・梅田の「北野劇場」で、脚本家の花登筺(はなと こばこ)さんと知り合うと、同じアパートに住み、お互い、「こんちゃん」「こばこちゃん」と呼び合うなど、とても良好な関係だった二人ですが、皮肉にも、タッグを組んだ作品がヒットを重ねるごとに関係は悪化の一途をたどると、
1974年には、花登さんと女優の星由里子さんの不倫が発覚したことで、花登さんはもちろんのこと、花登さんの妻である女優の由美あづささんにも恩義があった大村さんは、花登さんと由美さんの間で板挟みとなったほか、
(大村さんの妻・瑤子さんも由美さんと親しい仲だったそうです)
公演先のホテルの朝食会場で、大村さんの弟子が花登さんと星さんの不倫現場を目撃すると、追い払われるなど(そのほかにもいろいろと嫌なことがあったそうで)、ついに、大村さんは、花登さんのこれらの行動が容認しがたくなり、1974年3月末、劇団「喜劇」を退団する苦渋の選択をします。
花登筺と決別
そして、大村さんは、退団することを伝えるため、大阪のホテルで花登さんと会うと、花登さんはその前日に由美さんと離婚したばかりだったため、
俺を崖っぷちに突き落とす気か
と、言いながら、紙袋にお金を入れて渡してきたそうですが、
大村さんは、
銭をもらいに来たんじゃない
と、その紙袋を突き返したそうで、
集まってきたマスコミには、
飼い犬も手を噛むこともありますよ
と、言い残して、ホテルを出たのだそうです。
現在は花登筺に感謝
ちなみに、大村さんが花登さんと会ったのは、これが最後だったそうで、以来、和解せぬまま、花登さんは、1983年10月、肺ガンのため、55歳という若さで他界されているのですが、
大村さんは、
83年10月、先生の訃報は欧州旅行中に聞きました。長い弔電を打ちましたが、告別式では読まれなかったそうです。最後は決別してしまいましたが、17年に及んだ師弟関係は僕の喜劇人生を作ってくれました。
もっとも、先生はコメディーだけではなく、40年代に放送されたテレビドラマ「細うで繁盛記」の板前役、「どてらい男(やつ)」の支配人役で、僕の新境地を開いてくださった。
喜劇人として育ててくれたのは、まぎれもなく花登先生。若くして亡くなられましたが、今でも毎年、京都市内にあるお墓にお参りをしています。
最後は逃げ出すような形になってしまったけど、花登さんにスターにしてもらったという感謝の気持ちは忘れていない。今でも命日には墓参りに行っています。
などと、様々なインタビューで語っています。
「大村崑は当初CM「オロナミンC」のオファーを断っていた!」に続く
「劇団 笑いの王国」の頃の、(左から)芦屋小雁さん、大村さん、芦屋雁之助さん、花登筺さん。