1950年代のテレビ黎明期(れいめいき)、「やりくりアパート」「番頭はんと丁稚どん」「頓馬天狗」などのテレビドラマで主役を演じ、たちまち、人気を博した、大村崑(おおむら こん)さんは、1965年~1975年には、10年間に渡り、「元気はつらつ!オロナミンC!」のセリフでお馴染みの、大塚製薬「オロナミンC」のCMにも出演しているのですが、今回は、そんな大村さんが「オロナミンC」のCMに出演するようになった経緯についてご紹介します。
「大村崑が花登筺と決別した理由とは?」からの続き
大塚製薬「オロナイン軟膏」のCMを降ろされていた
大村さんは、もともと、主演ドラマ「頓馬天狗」(1959)内で、大塚製薬の「オロナイン軟膏」の生CM(大塚製薬の一社提供)に出演し、「頓馬天狗」の主人公の名前(尾呂内南公)をもじり、
姓は尾呂内(オロナイン)、名は南公(軟膏)
と言って、人気を博していたのですが、
突然、何のことわりもなく、「オロナイン軟膏」のCMを降ろされてしまったといいます。
大村さんが出演したオロナイン軟膏のCM
(CMには、代わりに浪花千栄子さんが出演することになったそうですが、浪花さんは、「社長さん、私、本名は南口キクノ(軟膏効くの)っていうの。CMやらせて」と売り込んだのだとか)
大塚製薬から新たにCM「オロナミンC」の出演オファー
これに、大村さんは、「スポンサーってそんなものか」と、ふてくされていたそうですが、
大塚製薬からは、
怒らんといて。今すごいの作ってるから
と、なだめられたそうで、
その後、宣伝部長が大村さんの自宅に「オロナミンC」を持ってきて、
今度発売する炭酸栄養ドリンクのCMに出てほしい
と、頼まれたのだそうです。
当初CM「オロナミンC」の出演オファーを断っていた
ただ、すでにキレていた大村さんは、
いくらで売るんですか
と、聞くも、
宣伝部長が、
120円
と、答えると、
売れません。コーラでも60円。大阪人はしぶちん。夏の暑いときは半分を飲んであとは冷蔵庫にしまって夜にまた飲む。こんな小さかったら2回に分けられない。そやのに120円。だれが飲みますかいな。帰っておくんなはれ
と、腐し、
「元気ハツラツ!オロナミンC」という文言に対しても、
僕は肺結核で片肺やし、忙しくて疲れて痩せてるし、全然元気ハツラツやないから
と、言い、断ったのだそうです。
妻の一言でCM「オロナミンC」の出演オファーを受けていた
すると、今度は、専務が大村さんを説得しに来たそうですが、
やらんと決めたらやりません
と、この時も、大村さんは頑なに拒否。
そして、次には、副社長が来て、テーブルを叩き、
副社長:おまえは大塚なめとるんか
大村さん:なめてません
副社長:「とんま天狗」を一社提供でどこの馬の骨か分からんやつを主演にしてやったのに、その恩を感じんとアタマから断るとはどういうことや。大塚は社運をかけてやってる。バチ当たるぞ
とのやり取りがあったそうで、
大村さんがこの言葉に火がつき、言い返してやろうと、息を吸い込んだそうですが・・・
その瞬間、それまで横で座って黙ってこのやりとりを聞いていた奥さんが、
やらせていただきます
と、言ったそうで、
大村さんが、
なに言うてんねん。「元気はつらつ」って。(若い頃に右肺を取っているため)おれは元気やないよ
と、言うも、奥さんは聞き入れず、副社長に、「よろしくお願いします」と言ったそうで、結局、大村さんは、奥さんの一言で、CM「オロナミンC」のオファーを受けることとなったのだそうです。
妻は契約金のケタが上がっているのを確認していた
実は、大村さんは、頭に血が上り、契約書を見ずにしゃべっていて、知らなかったそうですが・・・
部長、専務、副社長と来るたびに、CMの契約金のケタが上がっていたそうで、かつて、外資系の貿易会社に務めていて、数字に明るかった奥さんは、契約書をしっかりと見ていたのだそうです(笑)
「大村崑は「オロナミンC」を1日で約50本飲み屁が止まらなかった!」に続く
「オロナミンC」のCMより。