1975年4月、27歳の時、吉田拓郎さんに誘われ、小室等さん、井上陽水さん、後藤由多加さんとともに、「フォーライフ・レコード」の設立に参加した、泉谷しげる(いずみや しげる)さんですが、吉田さんが泉谷さんを誘った理由は、「毒のある人間が欲しい」という理由だったようです。
「泉谷しげるは昔吉田拓郎に誘われフォーライフレコードに参加していた!」からの続き
井上陽水も「フォーライフ・レコード」設立に参加
大手レコード会社が絶大な力を持ち、アーティストにはほとんど権限がなかった時代、吉田拓郎さんと小室等さんが意気投合し、アーティスト主導のレコード会社(「フォーライフ・レコード」)を設立する話が進んでいたそうですが、
吉田さんが小室さんに、
俺と小室さんの二人でやるんじゃ分かりやすくて面白くない。井上陽水が入るんならやってもいい。あんた陽水と親しいなら話してみてくれ
と、言ったことから、
小室さんが、井上さんは入らないだろうと思いつつも、井上さんに話しをすると、井上さんは、予想外にも快諾。
ちなみに、井上さんはその理由について、
環境を変えてみたかった
吉田拓郎の近いところにいるのも面白いと思った
などと、答えていたそうです。
泉谷しげるも「フォーライフ・レコード」設立に誘われ参加
そして、吉田さん、小室さん、井上さんの3人が集まったそうですが、何か物足りない、「もう一人毒のあるのが欲しい」と、泉谷さんに白羽の矢が立ったそうで、吉田さんが泉谷さんを誘うと、泉谷さんもこれを快諾。こうして、4人のフォークシンガーで新会社「フォーライフ・レコード」が設立されたのでした。
ちなみに、泉谷さんは、その時のことを、
俺はその年(1975年)の3月、アメリカに行っている時に、国際電話がかかってきて誘われたんだ。最初の頃は冗談というか遊びだと思ってたよ。
そしたら、マジに株主総会とかさ(笑)株券の何%持つとか。えれえ話になっちまって(笑)ちょっと待って!俺にそんな話すんなよ!ミュージシャンが株券もってどうすんだよって!(笑)
フォーライフは吉田拓郎という天才が作ったもの。オレは誘われただけ
と、明かしています。
「フォーライフ・レコード」は大手レコード会社からの妨害に遭っていた
ただ、会社設立はすんなりいかなかったそうで、日本の音楽業界は、戦後、レコード会社主導で発展してきており、アーティストが曲の制作、広報、営業、宣伝、販売まで、全ての権限を持つということは、これまで培われた組織型の業界システムを根本から変えてしまうため、音楽業界からの反発が強く、まさに、巨大な壁に立ち向かうといった状況だったそうで、
大手レコード業界からの圧力は凄まじく、小売店への販売ルートからプレス工場に至るまで、ことごとく邪魔をされたそうで、マスコミの大半が、吉田さんらの計画は実現できないだろうと考えていたそうです。
(「日本レコード協会」が、「フォーライフ・レコード」の販売を引き受けないよう、定例理事会で申し合わせ、各レコード会社にプレスも販売も認めないよう通達を出したそうです)
「泉谷しげるは吉田拓郎と口論しフォーライフレコードを退社していた!」に続く
(左から)泉谷さん、井上陽水さん、小室等さん、吉田拓郎さん。