偶然、松竹のスター女優だった桑野みゆきさんのお父さんに声をかけられ、桑野さんのお屋敷で身の回りの世話などをするようになると、俳優業の方でも、桑野さんのお父さんに取り計らってもらい、松竹の映画に出演するようになった、藤岡弘、(ふじおか ひろし)さんですが、やがて、さらに大きな運が巡ってきます。
「藤岡弘、が若い頃は「アンコ椿は恋の花」で映画デビュー!」からの続き
「仮面ライダー」で主人公・本郷猛/仮面ライダー1号役に抜擢
桑野みゆきさんのお父さんのお陰で、松竹で青春映画に数多く出演するようになった藤岡さんですが、実質的には、女優を助ける役割としての俳優の立場に、次第に、フラストレーションが溜まり、もっと違ったタイプの方向性はないのか、自分の肉体を使うようなアクティブな現場はないのかと、ずっと考えていたそうで、
そんな中、1971年、(藤岡さんいわく)ある恩のある人から(桑野さんのお父さんかどうか不明)「仮面ライダー」のオーディションに誘われ、特撮テレビドラマ「仮面ライダー」で主人公・本郷猛/仮面ライダー1号役に起用されると、たちまち、藤岡さんも脚光を浴びます。
「仮面ライダー」より。
「5社協定」の中、東映の尽力で「仮面ライダー」に出演することができた
というのも、「仮面ライダー」は、東映の制作だったことから、松竹と専属契約を結んでいた藤岡さんは、「5社協定」により、本来、東映の「仮面ライダー」には出演することはできないのですが、
(「5社協定」(一時は6社協定)とは、当時、映画会社の間で調印された、各映画会社専属の監督や俳優の引き抜きや貸し出しを禁止する協定)
東映の重役が松竹まで話し合いに来てくれたそうで、結果、藤岡さんは、仮面ライダー役を演じることができたのだそうです。
(藤岡さんは、この頃、まだ、松竹の見習いだったため、多額の出演料が発生することがなかったことも、すんなりと他社作品に出演できた理由の一つだったそうです)
スタントマンなしでアクションシーンを演じていた
そんな藤岡さんは、本郷猛役だけではなく、変身後の仮面ライダーでも、コスチュームを着用して、スタントマンなしで演じているのですが、
(武道と違い)絵になるアクションをするため、当時のスタントマンの人たちが訓練していた「大野剣友会」という道場で訓練してから、撮影していたそうで、これが想像以上にきつかったそうです。
また、最初に着用した仮面ライダーのスーツはレザーだったそうですが、汗をかくとだんだんと縮まってきたそうで、それを着てハードなアクションをすると、体が締め付けられて苦しかったほか、
(体にピタッとしたサイズで作ったものの、それを着てハードなアクションをやるとどうなるか、というところまでは、想定でなかったそうです)
仮面は視野が狭く、かぶると左右も上下もまったく見えなかったうえ、仮面ライダーのバイクも、普通のバイクにいろいろな部品をくっつけただけのもので、重心がとれずにバランスが悪かったことから、そのような状態でバイクを運転することはとても怖かったそうで、まさに体を張ったスタントだったそうです。
(ちなみに、藤岡さんが、仮面ライダー変身後もスタントマンに任せなかったのは、東映側からそういう話もなく、藤岡さん自身もまだ業界のことがよく分からず、全部自分でやるものだと思っていたからだそうです。)
「藤岡弘、は「仮面ライダー」撮影中の大事故で再起不能と宣告されていた!」に続く