プライベートでは、1988年、38歳の時、弁護士だった小川敏夫氏とお見合い結婚をするも、早くから不仲説が噂され、1991年には早くも離婚した、市毛良枝(いちげ よしえ)さんですが、今回は、その離婚原因が夫の家庭内暴力(DV)と報じた「報知新聞」と、小川氏の裁判の内容をご紹介します。

「市毛良枝の元夫は元法務大臣で参議院副議長の小川敏夫!」からの続き

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市毛良枝の母親の証言

まずは、市毛さんの母親の証言内容。

市毛さんと母親は、同じ建物のそれぞれ2階と3階に住んでいたそうですが、1990年10月29日の夜、小川氏が市毛さんの家に入り込んできたことから、市毛さんが、3階に住む母親の部屋に逃げ込むと、小川氏が市毛さんを追って、母親の部屋に入ってきたそうです。

そこで、市毛さんと母親が、小川氏に出ていくように言うも、小川氏が応じなかったため、市毛さんが110番通報。

すると、ほどなくして警察がやってきたそうで、市毛さんが、警察官とともに部屋を出ていこうとすると、小川氏が市毛さんをキッチンの方へ引きずっていき、そこで、市毛さんの上に馬乗りになり、市毛さんの両腕を持って何回も床へぶつけるようにしたそうです。

これに対し、母親は小川氏のネクタイにぶら下がるなどして止めようとしたそうですが、小川氏に振り払われ、ドアに体をぶつけて肩を痛めたそうです(手も捻られたとのこと)。

また、市毛さんが、小川氏から逃れて部屋を出ていこうとすると、小川氏が追いかけてきて市毛さんの体を抱えたそうで、警察官が小川氏の指を一本一本離すようにして、市毛さんを引き離して外へ連れ出すと、小川氏は、それでも、市毛さんの後を追ったそうですが、

下駄箱に引っかかって、下駄箱もろとも倒れ、小川氏に手を掴まれていた母親も一緒に倒れ、下駄箱で胸を打ったのだそうです。

母親は、翌日、石橋整形外科医院へ行き、右手関節挫傷で1週間の加療を要する旨の診断書をもらい、家へ帰ったそうですが、家へ帰ると、別の部位も赤くなっていたため、翌々日の11月1日、再び、石橋整形外科医院で診察を受け、両手関節、左肩関節、左前胸部挫傷によって1週間の加療を要する旨の診断書をもらったとのことでした。

元夫・小川敏夫の証言

次は、小川氏の主張内容。

問題となった1990年10月29日の夜、小川氏は、離婚の問題について話し合おうと、市毛さんの自宅を訪れると、離婚問題の交渉に第三者に入ってもらおうと提案したそうですが、市毛さんは、話し合いを拒否し、警察に電話したとのこと。

ほどなくして、やって来きた警察官に、小川氏は、夫婦の問題であると説明すると、警察官は帰ろうとしたそうですが、市毛さんが、警察に行くと言いだし、警察官とともに出ていこうとしたそうで、小川氏は市毛さんの手首をつかんで引き止めたそうです。

しかし、市毛さんは、腕を振り回して、小川氏の手を振りほどき、出て行ったことから、小川氏が後を追おうとすると、市毛さんの母親が、小川氏を止めようと、小川氏のネクタイを掴んでぶら下がり、尻もちをついたそうです。

ただ、小川氏は、母親に対し、突き飛ばすなどの暴力はふるったことは一切なく、また、市毛さんに馬乗りになって、市毛さんの腕を床へぶつけるようなこともしていないとのことでした。

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市毛良枝の母親の証言が不自然で「報知新聞」が敗訴(元夫の小川敏夫が勝訴)

これに対し、裁判では、

母親の証言は、首尾一貫しておらず、あいまいで、不明瞭のところがあるほか、市毛さんの自宅に駆けつけた警察官は、小川氏が母親に暴力を振るったところを目撃していないこと、母親を診察した石橋整形外科医院による診断書が小川氏による暴行の証拠にならないことから、小川氏による、市毛さんと母親への暴行はなかったとし、小川氏が勝訴。「報知新聞」に対し、慰謝料100万円の支払いと謝罪広告の掲載が命じられたのでした。

ちなみに、謝罪広告の内容は、

本紙が平成二年一二月二二日(土曜日)に掲載した「市毛良枝来春離婚」との見出しの記事中、「許せない母への暴力」と中見出しを付し、小川敏夫さんが市毛良枝さん(本名小川良枝)の母親に暴力を振るい、それが小川さんご夫婦の破局を決定的にしたとの部分は、事実ではありませんでした。

ここに右記事を取消し、小川敏夫さんにご迷惑をおかけしたことをお詫びします。

と、なっています。

「市毛良枝が登山をする理由とは?」に続く

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