1960年代から1970年代にかけて、劇作家の唐十郎さんが設立した伝説の劇団「状況劇場」の看板女優として、奔放で野性味あふれるヒロインを数多く演じ、「アングラの女王」と称された、李麗仙(り れいせん)さん。
そんな李麗仙さんは、中学3年生の時、お父さんがギャンブルにのめり込んで財産を失ったうえ、家庭を捨てて他の女性のもとに走ったそうで、
お母さんが屋台のおでん屋を始め、一家を養ってくれたそうですが、家計は苦しく、高校進学時には制服が買えず、中学校時代のセーラー服を着続けていたといいます。
今回は、李麗仙さんの、幼少期(生い立ち)から舞台芸術学院時代までをご紹介します。

李麗仙のプロフィール
李麗仙さんは、1942年3月25日生まれ、
東京都牛込の出身、
身長162センチ、
血液型はA型、
学歴は、
東京都立広尾高等学校
⇒舞台芸術学院中退
趣味は、お香、競馬、ドライブ、
ちなみに、
本名は「大靏初子(おおつる はつこ)」
旧本名は「李 初子(り はつこ)」※朝鮮名は「이초자(イ・チョジャ)」
日本名(通り名)は「星山初子(ほしやま はつこ)」
旧芸名は、「李礼仙」※朝鮮名は「이예선(イ・イェソン)」
だそうです。
李麗仙は在日韓国人三世
李麗仙さんは、両親が在日韓国人二世で、在日韓国人三世として日本で生まれ育ったそうですが、
両親は日本語を話し、李麗仙さんも日本の学校に通っていたそうで、小学校から中学校時代は、「星山初子」という日本名を使っていたそうです。
また、在日韓国人ということで、
お前の父ちゃん、朝鮮人じゃないか!
と、からかわれたそうですが、
お前の父ちゃん、日本人じゃないか!
と、大声で言い返していたそうで、
いじめられたことはなかったそうです。
李麗仙は日本国籍を取得していた
そんな李麗仙さんは、1975年に日本国籍を取得しています。
というのも、1973年、韓国では、政府が民主化を求める運動に対して激しく弾圧しており、日本で亡命生活を送っていた金大中氏(韓国の民主運動指導者で後に大統領)が東京都内のホテルで韓国中央情報部(KCIA)に拉致される事件も起きていたそうですが、
当時、李麗仙さんは、韓国内で政府に批判的な活動をしていた詩人の金芝河氏などと親交を持っていたことから、同年、バングラデシュへの渡航でビザの手続きを行った際には、自身も要注意人物として監視対象になっていることが分かったのだそうです。
また、そんな中、知り合いが当局に拘束されたそうで、李麗仙さんは、家族の身の安全を最優先に考え、息子である大鶴義丹さんの小学校入学というタイミングに合わせて、日本国籍を取得する決意を固めたのだそうです。
李麗仙は中学3年生の時に父親が家庭を捨てて出奔し貧困生活を余儀なくされていた
さておき、李麗仙さんは、パチンコ店を数店経営するお父さんのもと、6人きょうだいの第一子(長女)として誕生したそうですが、
李麗仙さんが中学3年生の時には、お父さんがギャンブルにのめり込んで財産を失い、そのうえ、家庭を捨てて他の女性のもとに走ったそうで、
その後は、お母さんが屋台のおでん屋を始めて家計を支えたそうですが、家計は苦しく、李麗仙さんは、高校に進学する際、制服が買えず、中学校のセーラー服を着続けたのだそうです。
また、高校時代は、授業料のほとんどを自分でアルバイトして払ったのだそうです。
李麗仙は高校時代に女優になりたいと思っていた
そんな中、李麗仙さんは、高校では演劇部に入部したそうで、文化祭のお芝居では主演を務めたそうですが、その際、観客が総立ちで拍手を贈ってくれたそうで、
この時、
女優になりたい
と、思ったのだそうです。
李麗仙は高校卒業後「舞台芸術学院」でダンスの稽古に励んでいた
こうして、李麗仙さんは、高校卒業後は、「舞台芸術学院」に進学したそうですが、
当時は、60年安保闘争が激化し、同級生たちはみな、デモに参加するなど、安保闘争に夢中になっていたといいます。
しかし、李麗仙さんは、これには参加せず、ひたすらダンスの稽古に励んだのだそうです。
「【画像】李麗仙の若い頃は金粉ショーも!死去までの出演舞台ドラマ映画は?」に続く
![]()
1964年、22歳の時、劇団「シチュアシオンの会(シチュエーションの会)」の旗揚げ公演「恭しき娼婦」でヒロインを務めると、その後は、既成の劇場に頼らず、唐十郎さんと共に、新宿の花園神社境内に設営した”紅テント …







