1971年、「冬の華」でテレビドラマデビューすると、その後は、数々のテレビドラマや映画に出演し、近年は、母親役を多く演じている、市毛良枝(いちげ よしえ)さん。今回は、そんな市毛さんの生い立ちからテレビドラマデビューまでをご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
市毛さんは、1950年9月6日生まれ、
静岡県田方郡修善寺町(現・伊豆市)の出身、
身長156センチ、
血液型はO型、
学歴は、
立教女学院中学校・高等学校卒業
趣味は、
登山(特定非営利活動法人 日本トレッキング協会理事)、社交ダンス
ちなみに、「市毛良枝」は本名です。
幼少期は裕福な家庭で何不自由なく育つ
市毛さんは、クリスチャンで開業医(第4次中東戦争では、被弾した貨物船「山城丸」の船医を務めていたそうです)のお父さんのもと、3人兄妹(兄2人)の末っ子として誕生すると、小学生の時には、一人だけ、当時、高級だった三越製のランドセルを使うなど、裕福な家庭で何不自由なく育ったそうです。
ただ、体が弱く、運動は苦手で、いじめられたこともあったそうです。
(お兄さんたちとは年が離れていたことから、一人っ子のように育ったそうです)
高校生時代は「宝塚歌劇団」のファンだった
そんな市毛さんは、クリスチャンだったお父さんの意向で、中高一貫校の立教女学院(キリスト教の学校)に進学すると、親元を離れ、東京・世田谷区の叔母さんの家に下宿していたそうですが、
高校時代は、「宝塚歌劇団」に憧れ、演劇部に所属していたそうで、
(演劇部は、お芝居を真面目にするというよりは、宝塚ファンが集うような場所になっていたそうです)
宝塚ファンの友達と、よく、東京・日比谷の東京宝塚劇場に通い、追っかけをしていたそうです。
「宝塚歌劇団」に不合格
そして、高校卒業後は、学生運動(1970年安保)で大学が荒れていたことから、大学進学は敬遠し、ダメ元で、「宝塚歌劇団」の願書を取り寄せ、応募したそうですが、やはり、不合格。
その一方で、同じ時期に受験していた「文学座付属研究所」の試験には、合格したことから、演劇の道に入ったのだそうです。
「冬の華」でテレビドラマデビュー
こうして、市毛さんは、「文学座付属研究所」に入所し、芝居の基礎を学んだそうですが・・・
演劇に熱い思いを持つ仲間にはついて行けず、1年で退所。
それでも、人から誘われ、1971年、木下恵介劇場「冬の華」でテレビドラマデビューすると、
(この間、「俳優小劇場」の研究所にも入っていたそうです)
その後は、
1972年 NHK大河ドラマ「新・平家物語」
1973年「伝七捕物帳」第2話
1974年「風の町」
1975年「永すぎた春」
1976年「桃太郎侍」第12話
「伝七捕物帳」より。(左から)市毛さん、今村民路さん(現・藤川矢之輔)、山形勲さん、中村梅之助さん。
と、立て続けにテレビドラマに出演。
しかし、
(デビュー作「冬の華」出演時は)まったくの新人なので、皆さん、手とり足とり教えてくれました。
テレビはこんなに丁寧に教えてくれるんだ、簡単だな、と思っていたところ、次の時には誰も教えてくれない。急に放り出されたんです
と、途中で何度か女優をやめようと思ったこともあったのだそうです。
「市毛良枝が若い頃は昼ドラ「嫁姑シリーズ」でお嫁さんにしたいNo1だった!」に続く