田中好子の若い頃は?弟のため復帰?黒い雨ほか出演ドラマ映画は?


1973年、「キャンディーズ」として「あなたに夢中」でデビューされると、1975年には5枚目のシングル「年下の男の子」が大ヒットを記録した、田中好子(たなか よしこ)さん。そんな田中さんの、デビュー前後、引退、復帰、出演作品について調べてみました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

田中さんは、1956年4月8日生まれ、
東京都足立区梅田のご出身、

身長155センチ、

血液型はA型、

学歴は、
足立区立第四中学校
⇒東京成徳高等学校
⇒東京成徳短期大学卒業

趣味は、
墨彩画(片岡鶴太郎さんに師事)、

ちなみに、本名は小達好子(おだて よしこ)(旧姓:田中)で、愛称はスーちゃんです。(好子の「好」という字が「すき」の「す」であるため)

若い頃は「キャンディーズ」でセンター

田中さんは、小学校4年生のとき、クラシックバレエを習いたかったそうですが、おばあちゃんに、

(日本人が)足などを上げるものではない

と反対されたことから、町内の「民謡研究会」に入り、発表会では「ソーラン節」を唄っていたそうで、

1969年、13歳の時には、渡辺プロダクションが経営する「東京音楽学院」に入学。

その後、「東京音楽学院」から優秀な生徒を集めて結成された、「スクールメイツ」のメンバーに、伊藤蘭さんや太田裕美さんらと共に選ばれると、

1972年、16歳の時には、NHKの歌番組「歌謡グランドショー」のマスコットガールのオーディションに、伊藤蘭さん、藤村美樹さんとともに合格。

田中さんたち3人は、「キャンディーズ」と命名され、マスコットガールのほか、椅子やマイク運び、代理の音合わせなど、アシスタントとしても活動するようになると、

同年末には、橋幸夫さんが歌う「子連れ狼」のバックコーラスや、南沙織さんのステージのバックダンサーなどされ、

翌年の1973年9月1日には、「キャンディーズ」として、ファーストシングル「あなたに夢中」でアイドル歌手デビュー。


「あなたに夢中」

田中さんは、抜群の歌唱力を評価されて、センター&リードヴォーカルを担当し、

その後も、

1974年1月「そよ風のくちづけ」
     4月「危い土曜日」
     9月「なみだの季節」

と、立て続けにシングルをリリースするのですが・・・

すぐにヒットとはなりませんでした。

「年下の男の子」が大ヒット

しかし、そんなある時、当時のマネージャーだった諸岡義明さんが、3人の中で、お姉さん的な存在だった伊藤さんだけ、ファン層が異なることを発見し、

1975年、5枚目のシングル「年下の男の子」では、田中さんに代わり、お姉さん的な存在の伊藤さんをセンター&メインヴォーカルに据えて売り出すと、見事、諸岡さんの予想が当たり、「年下の男の子」は大ヒットを記録。「キャンディーズ」初のベスト10入りを果たしたのでした。


「年下の男の子」

以降、田中さんは、メイン・ヴォーカルを伊藤さんに譲り、向かって右の立ち位置でコーラスを務めると、翌年の1976年3月にリリースした9枚目のシングル「春一番」も大ヒット。


「春一番」

そして、その後も、「キャンディーズ」は、「やさしい悪魔」(1977年3月)、「暑中お見舞い申し上げます」(1977年6月)など、次々とヒットを飛ばすと、

「8時だョ!全員集合」「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」などのバラエティ番組でもコントを披露するなど、積極的にテレビ出演もこなし、3人それぞれの個性とあいまって、たちまちお茶の間の人気者となったのでした。

人気絶頂時に解散

しかし人気絶頂だった1977年7月17日、日比谷野外音楽堂のコンサートのエンディングで、

伊藤さんが、

私たち、皆さんに、謝らなければならない事があります

と、突然切り出すと、

続いて藤村さんが、

ごめんなさい

そして、田中さんが、

許してください

と、ファンに謝罪され、

私たち、今度の9月で解散します

と、3人は、突然解散宣言をしたのです。

(この時、伊藤さんが泣きながら叫んだ「普通の女の子に戻りたい!」という言葉がとても有名になりました)

そして、1978年4月4日、「キャンディーズ」は、後楽園球場で5万5千人もの観客が見守る中、「お別れコンサート」を行い、解散したのでした。

弟のために芸能界に復帰

こうして、「キャンディーズ」解散とともに、一旦は芸能界を引退された田中さんですが、1980年7月、萩本欽一さんの「欽ちゃんのどこまでやるの!?」で正式に芸能界に復帰。

実は、田中さんには、「骨肉腫」を患って闘病生活を送っていた6歳下の弟さんがおり、その弟さんが田中さんの芸能界復帰を強く望まれていたそうで、

そんな時、田中さんは、萩本さんの著書「欽ちゃんつんのめり」を読み、感銘を受けたことから、萩本さんの家を直接訪問されたそうで、(その際、芸能界復帰についても相談されたのか)弟さんのことを知った萩本さんから、

弟さんのために芸能界でもう一度 一等賞を獲って、弟さんを喜ばせてやろうよ

と、励まされ、萩本さんの協力により、芸能界復帰を果たされたのでした。


欽ちゃんつんのめり

(ただ、残念なことに、田中さんが復帰を果たされた翌年の1981年、弟さんは、19歳という若さで他界されています。)

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出演作品(映画、テレビドラマ)

こうして、芸能界に復帰された田中さんは、以降、

映画では、

1980年「土佐の一本釣り」
1982年「ひめゆりの塔」
1983年「真夜中のボクサー」
1985年「夢千代日記」
1987年「おれは男だ!」


「ひめゆりの塔」より。(左から)斉藤とも子さん、栗原小巻さん、田中さん。

1989年「黒い雨」
1992年「ゴジラvsモスラ」
1993年「お墓と離婚」
1994年「さくら」
1995年「サラリーマン専科」


「黒い雨」より。市原悦子さん、北村和夫さん、田中さん。

1996年「サラリーマン専科 単身赴任」
1998年「友情 Friendship」
1999年「鉄道員(ぽっぽや)」
2000年「リング0 バースデイ」
2003年「鏡の女たち」

2004年「インストール」
2005年「深紅」
2006年「ありがとう」
2007年「0からの風」
2008年「明日への遺言」

テレビドラマでは、

1972年「突撃!ヒューマン!!」
1980年「虹子の冒険」
1981年 NHK大河ドラマ「おんな太閤記」
1982年「幸福の黄色いハンカチ」
1983年 NHK大河ドラマ「徳川家康」

1984年 NHK朝の連続テレビ小説「心はいつもラムネ色」
1985年「親戚たち」
1986年 森繁久彌シリーズ「おやじのヒゲ」
1987年「銭形平次」
1988年「親の出る幕」

1989年「優しい報復」
1990年「泥棒に手を出すな!」
1991年「NASA~未来から落ちてきた男~」
1992年「風車の浜吉捕物綴」
1993年「憎しみに微笑んで」

1994~1995年「家なき子」
1995年「離婚したい女たち」
1996年「鳥帰る 故郷の母に会いたい」
1997年「この指とまれ2」
1998年「神様、もう少しだけ」


「家なき子」より。安達祐実さんと田中さん。


「神様、もう少しだけ」より。(左から)平田満さん、田中さん、深田恭子さん。

1999年「てっぺん」
2000年「妻たちの戦争」
2001年「プラトニック・セックス」
2002年「天使の歌声 〜小児病棟の奇跡〜」
2003年「神様、何するの」
2004年「忠臣蔵」

2005年「華岡青洲の妻」
2006年「たったひとつの恋」
2007年「私の頭の中の消しゴム」
2008年「正義の味方」
2009年「上地雄輔ひまわり物語〜家族・親友・彼女…誰も知らない素顔初公開!」
2010年「筆談ホステス〜母と娘、愛と感動の25年。届け!わたしの心〜」

ほか、数多くの作品に出演。

ちなみに、1989年の映画「黒い雨」では、主役・高丸矢須子を演じられているのですが、原爆症の皮膚の変化を表現するため、入浴シーンではヌードも披露されるなど熱演され、

「日本アカデミー賞」「ブルーリボン賞」「キネマ旬報賞」「毎日映画コンクール」「報知映画賞」など、各映画賞で主演女優賞を受賞。この頃から、演技派女優としての地位も確立されたのでした。

「田中好子の夫は夏目雅子の兄!子供は?死因は?最後のメッセージは?」に続く

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