「キャンディーズ」で一世を風靡し、復帰後も女優として成功された、田中好子(たなか よしこ)さんですが、プライベートでは、弟さんの早すぎる死、そして、自身も、若くして病魔に襲われてしまいます。今回は、そんな田中さんの、結婚(略奪婚)、闘病、最後のメッセージについてご紹介します。

「田中好子のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き

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夫は小達一雄、子どもは?

そんな田中さんの気になるプライベートですが、田中さんは、1991年、実業家の小達一雄さんと結婚されています。

田中さんは初婚でしたが、小達さんは3回目だったこともあり、列席者は、両家の親族や田中さんのプロダクション関係者らだけという、とてもシンプルな式が挙げられたそうです。


1991年の結婚報告会見より。

お二人の馴れ初めなど、詳しいことは分かりませんでしたが、小達さんは、夏目雅子さんのお兄さんで、田中さんは夏目さんと友人だったことから、その縁で知り合われたのかもしれません。

そのため、田中さんは、女優としての活動以外に、小達さんが妹の夏目雅子さんのために1993年に設立した「夏目雅子ひまわり基金」の活動にも積極的に参加されていたようです。


田中さんと小達一雄さん。

(「夏目雅子ひまわり基金」は、1985年に「急性骨髄性白血病」のため他界された夏目さんの遺志を継ぎ、治療の副作用で脱毛に悩む人へのカツラの無償貸与ほか、骨髄移植の啓発とドナー登録の呼びかけ、臓器移植に関する知識・ドナーカードの普及、エイズの正しい知識の啓発等を行っているそうです。)

ちなみに、田中さんは、不妊治療を続けていたそうですが、結局、小達さんとの間にお子さんは恵まれませんでした。

略奪婚だった?

ところで、この結婚、田中さんの略奪婚だったというのです。

実は、小達さんは、1988年、当時交際されていた女性との間に女の子が生まれて、その女性と入籍されていたのですが、なんと、翌年の1989年には、妹・夏目雅子さんと友人だった田中さんとの不倫が発覚。

1990年には、その女性は、過激な報道に耐えきれず、赤ちゃんを連れて実家の北海道に帰られ、その後、離婚。そして、1991年、小達さんと田中さんは結婚されたのでした。

死因は乳がん

こうして結婚された田中さんだったのですが・・・結婚の翌年の1992年には、左胸に「乳ガン」が発覚。

田中さんは、乳房摘出手術をせず、乳房の腫瘍をのみを切除する「温存療法」という治療を選択すると、その後、何度かガンの再発を繰り返すも、いずれも早期発見できたため、闘病を続けながら、周囲には伏せて、芸能活動を続けておられたのですが、

2010年10月、「十二指腸潰瘍」を患うと、その治療のための絶食で、体力・免疫力が低下し、「乳ガン」が再発。

2011年2月には、ガン細胞組織が急激に増殖する「ラッシュ」状態となり、肺や肝臓にもガンが転移したそうで、

翌月の3月14日、ご主人の小達さんが、田中さんに、

ゴールデンウィークは越せないかもしれない

と、初めて余命を伝えると、田中さんは、

こんな事をあなたに言わせてしまってごめんね

と、小達さんを気遣った後、

私は大勢の人に支えられて生きてきたので、みなさんにお礼が言いたい

と、言われたそうで、

3月29日の午後、小達さんとマネージャーの立会いのもと、ベッドのリクライニングを起こした姿勢で、最後のメッセージが録音されると、翌月の2011年4月21日、田中さんは、55歳という若さで息を引き取られたのでした。

ちなみに、「キャンディーズ」のメンバーで親友の伊藤蘭さんと藤村美樹さんは、田中さんが危篤状態となった際、親族のはからいで病室に呼ばれ、田中さんが息を引き取るまで、7時間にも渡って、田中さんの名前を呼び続けられたのだそうです。

夫の前妻の娘・楯真由子がコメント

それから、8年後、小達さんの前妻の娘さん(当時は赤ちゃん)が、コメントされています。

実は、この娘さん、夏目雅子さんを叔母に持った影響もあって、本名の「楯真由子」名義で9歳の時に子役デビューし、現在も舞台などに出演されているのですが、


楯真由子さん。

当時、田中さんが人気ドラマ「家なき子」に出演されていたことから、

父親に捨てられた家なき子

と指を指されたり、

空き時間に子役同士でアイドルごっこをしていた際には、オーディションの設定で「キャンディーズ」の曲を歌わされたりと、イジメに遭ってきた辛い過去を明かされたのでした。

ただ、そんな真由子さんも、2008年、20歳の時、芸能界へ後押ししてくれ、慕っていたおばあちゃんのスエさんが亡くなり、葬儀で初めて田中さんと会う際には、

父を奪ったことは事実ですが大人の事情があり、ひとりの女性として誰かを愛する権利はある。それを非難してはいけないと思うようになっていました。

と、覚悟して会われたそうで、

実際に田中さんと会うと、田中さんは、(真由子さんがおばあちゃんの部屋に貼っていた)プリクラや雑誌の切り抜きをきれいに整理した分厚いファイルを渡してくれ、

「おばあちゃんは、いつもあなたのことを考えていたのよ」と、教えてくれたんです。うれしかった。好子さんも家族なんだと初めて気づきました。

と、少し打ち解けたそうで、その後は、毎年、おばあちゃんの法事で顔を合わし、その間もメールでのやり取りをされたのだそうです。

そして、2011年に田中さんが亡くなると、真由子さんのお母さん(小達さんの前妻)も泣いていたそうで、

母としては、こっちは苦労しているのに向こうは女優さんできれいな服を着て、おいしいものを食べてと思っていた。でも、いろいろな思いがあったけど、死んでしまうと、ただ悲しいと言っていました。

と明かされています。

ちなみに、田中さんの死の直後、早くも小達さんは、新たな女性と子供を作って、新生活をスタートされており、それを知った真由子さんは、

さすがに父にキレました。電話で「ふざけんなよ! 病気の好子さんまで泣かしたのか!」

と怒鳴ったそうですが、

その後、しばらくして、小達さん(お父さん)から電話があり、

好子はお前のことを心配していて、自分が芸能界の母親になってあげたいって言っていたんだよ

と聞いたそうで、

許せない存在だった田中さんを、少しずつ許せるようになっていったのだそうです。

(ちなみに、真偽は定かではありませんが、真由子さんのお母さん(小達さんの二人目の妻)も、小達さんの初婚の妻からの略奪婚だったという話もあり、もし、そうなら、小達さんは3回も不倫していたことになります。)

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最後のメッセージ

それでは、最後に、田中さんの「最後のメッセージ」をご紹介しましょう。

こんにちは、田中好子です。きょうは3月29日、東日本大震災から2週間が経ちました。被災された皆様のことを思うと、心が破裂するような・・・ご冥福をお祈りするばかりです。

わたしも一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。その時は必ず天国で、被災された方のお役にたちたい・・・

きょうお集りいただいている皆様にお礼を伝えたくて、このテープを託します。キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。

幸せな幸せな人生でした。心の底から感謝しています。とくに、ランさん、ミキさん、ありがとう。2人が大好きでした。映画にもっとでたかった。

テレビでももっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。お礼の言葉をいつまでも皆様に伝えたいのですが、息苦しくなってきました。

いつの日か、妹・夏目雅子のように、支えてくださった皆様に、社会に少しでも恩返しができるように、復活したいと思っています。

一さん(ご主人のこと)、よろしくね。その日まで、さようなら

さて、いかがでしたでしょうか。

感謝を述べられるために最後のメッセージを録音された田中さんですが、やはり、「もっと演じたかった」の言葉が胸に突き刺さります。普通、同年代の人であれば、まだまだ元気に過ごすことができる年齢でこの世を去らなければいけない心境とはどのようなものなのでしょう。

あまりにも早すぎる死には心が痛むばかりですが、この機会に、晩年の田中さんの渾身の演技、ご覧になってはいかがでしょうか。

心より田中さんのご冥福をお祈りいたします。

「田中好子の若い頃は?弟のため復帰?黒い雨ほか出演ドラマ映画は?」

https://www.youtube.com/watch?v=6foS_EQouT8

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