デビューしていきなり、俳優としても歌手としてもブレイクした、中村雅俊(なかむら まさとし)さんですが、快進撃はまだまだ続きます。

「中村雅俊は大学時代に100曲以上も作曲していた!」からの続き

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「俺たちの旅」が大ヒット

1974年には、デビュー作のテレビドラマ「われら青春!」でいきなりブレイクした中村さんですが、

翌年の1975年にも、「俺たちの勲章」「俺たちの旅」と立て続けにテレビドラマで主演に抜擢されると(「俺たちの勲章」は松田優作さんとダブル主演)、同年10月にリリースした「俺たちの旅」の主題歌「俺たちの旅」は、またしても87万枚を売り上げる大ヒットとなります。


俺たちの旅

「心の色」が大ヒット

そして、その後しばらくは、ヒットがなかったのですが、1981年11月25日にリリースした、主演ドラマ「われら動物家族」の主題歌「心の色」が、発売当初はそれほどではなかったものの、徐々に売上を伸ばし、最終的には70万枚近くを売り上げ、翌年の1982年には、上半期最大のヒットを記録。

(もともと、「心の色」は、挿入歌だったのですが、第8話から主題歌に変更されていました)


心の色

これにより、中村さんは、同年末の「NHK紅白歌合戦」にも初出場するなど、歌手として不動の地位を確立したのでした。

ちなみに、中村さんは、

とにかく『ふれあい』がオリコン1位で、『俺たちの旅』も2位になって、そこから1位になる曲が何年かなくて。久しぶりに1位になったのが『心の色』。この曲のヒットは、すごくうれしかったですね

ドラマ自体、視聴率は良かったんです。しばらくして挿入歌の『心の色』を主題歌にしたら、徐々に売れて1位になって。今はヒット曲として歌ってますけど、結構、難産でした。

あの頃は、レコード会社の宣伝マンが本当に頑張って、ヒットするかしないかに懸けていた時代ですからね。だから余計に、売れ出したときの感激ってすごくありました。

ドラマの主題歌や挿入歌というのは、毎週プロモーションしているようなものでしたし、ましてや本人がドラマに主役として出ていますからね。推しとしては強かったと思います。

と、語っています。

「ビートルズ」のジョージ・ハリスンに会っていた

そんな中村さんは、「俺たちの旅」がヒットしたことを受け、レコード会社からご褒美としてヨーロッパ旅行をプレゼントしてもらったそうですが、そこで、イギリス・ロンドンを訪れた際、長年の憧れだった、「ビートルズ」のジョージ・ハリスンさんに会ったといいます。

(中村さんは、ジョージ・ハリスンさんの曲が好きで、特に、「While My Guitar Gently Weeps」(1968年)がお気に入りなのだそうです)

実は、中村さんは、ハリスンさんが社長を務めるレコード会社「Dark Horse」所属のアーティストである「Splinter」というデュオが日本でレコードを出すことになった際、「Lonely Man – English/Japanese Versions」という曲の日本語版の歌詞を作っていたそうで、ロンドンでは、「Splinter」の二人に会ったそうですが、

その際、

ちょっとボスに連絡するけど、雅俊、会う?

と、言われたことから、大喜びでこの申し出を受けると、その後、ハリスンさんの家に招待され、2時間くらい一緒に話をしたそうで、

この時ばかりは、

大学で英会話クラブに入っててよかった!

と、思ったそうです(笑)

(ハリスンさんは、「ビートルズ」が解散した後、「Dark Horse」というレコード会社の社長になっていました)

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人との出会いに恵まれていた

さておき、こうして、俳優としても歌手としてもトントン拍子だった中村さんは、

ドラマの挿入歌として歌った「ふれあい」も大ヒットしましたし、1974年という年は、俺の人生にとって実に劇的な1年となりました。

テレビも冷蔵庫も洗濯機もないアパート生活をしていた貧乏大学生が一気に青春スターになったわけで、自分でも何が何だか分かりませんでした。でも、いただいた仕事は一本一本大切に取り組んでいこうと心に決めていました。

幸いその後も、岡田プロデューサーの信頼できるチームでじっくりとドラマ作りに取り組むことができました。文学座の先輩・松田優作さんとも刑事ドラマで共演できましたし、人との出会いにはとても恵まれていたと思います。

大学時代は、自分の作った曲がレコードになるのが夢でした。でも“ふれあい”が売れたあと、レコーディングディレクターに「雅俊、自分でも曲作ってるのか?」と言われて、いきなり2枚目のアルバム(1976年発表の『さよならの吸殻』)は全曲、大学のときに作った曲で出せましたからね。

「夢って、叶うときは叶うんだなぁ」と思いました。僕がラッキーだったのは、偶然にも自分の歌を出せたこと。その先もずっと歌を出していけたこと。そんな43年間ですね。

と、語っています。

「中村雅俊のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

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