1971年5月、フォークグループ「六文銭」とのジョイントコンサートで、「六文銭」の新メンバーだった四角佳子さんと知り合うと、当初は、軽い気持ちで四角さんにアプローチしていたという、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、その後、四角さんを本気で好きになる出来事が起こったといいます。

「吉田拓郎の最初の妻・四角佳子との馴れ初めは?」からの続き

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四角佳子がケガの手当をしてくれたことで一気に惚れる

フォークグループ「六文銭」とのジョイントコンサートがきっかけで、新メンバーの四角佳子さんと知り合うと、四角さんをひと目見て気に入ったという吉田さんは、1ヶ月ほど経った頃、再び「六文銭」と共演し、そのコンサートの後、打ち上げをしたそうですが、

その帰り、四谷の路上で酔っ払いのケンカに遭い、仲裁に入ると、4人の酔っぱらい相手とケンカになったそうで、ケンカの強い吉田さんも、さすがに4人相手ではかなわず、めちゃくちゃにぶちのめされてしまったのだそうです。

すると、四角さんが、あわてて深夜営業のスーパーに駆け込み、ガーゼと絆創膏を買ってきてくれたそうで、初めて見た男同士のケンカと、血だらけの吉田さんの姿に、泣きじゃくりながら手当をしてくれたそうですが、吉田さんは、そんな四角さんに一気に惚れてしまったのだそうです。

帰り道でのキスを境に交際スタート

そこで、吉田さんが、

俺の部屋に(当時は杉並の堀之内に住んでいた)遊びに来ないか?

と、四角さんを誘うと、

さすがに、四角さんは、すぐには首を縦に振らず、しばらく渋っていたそうですが、

吉田さんが、

ミニバンドの連中も一緒だから、いいじゃないか

と、もうひと押しすると、四角さんは小さくうなずいたそうで、

吉田さんは、後に、その時のことについて、

それでね。俺の部屋でまたあらためて怪我の手当てをしてくれたんだよ。その途中でさ。ミニバンドの二人の目を盗むようにして”ねえ、キスしていい?” って馬鹿みたいに聞いたわけよ。

そしたら即座に”ダメッ” って言いやがんの! もっとも考えてみたら、それが俺の最初で最後のプロポーズなんだよな・・・

と、語っています。

(その後、吉田さんは、四角さんを送って行ったそうですが、その途中、妙法寺というお寺に立ち寄り、四角さんにキスしたそうで、この夜を境に二人は交際することとなったのだそうです)

当時のマネージャー・伊藤明夫の証言

ちなみに、当時、吉田さんのマネージャーをしていた伊藤明夫氏は、

確か、あのケンカの前までは、おけい(四角さん)なんてあんなチャラチャラした女なんか嫌いだ、なんて言ってたはずですよ。もっとも、それはどうやら人の目を欺く煙幕だったようですけどね。

それはともかく、事件のあと名古屋で仕事があって、その翌日はアキ日で、翌々日が京都ということがあったんですよ。そんな時、それまでは一旦東京に帰るなんてことはせず、直接京都に行っちゃうのが常だったんです。

ところが、その時に限って一度東京に帰らなきゃって言うんですよ。なぜって話を聞くと、実はケンカした晩、おけいのハンカチを・・・きっと包帯がわりかなんかに使わせちゃったのでしょうね。ダメにしちゃった、だからハンカチを買って返さなくちゃいけないんだ、とかそんなことを言うんです。

それで、おけいが高いハンカチを欲しいって言ってたから、と言って三千円もするハンカチを買ってきてね。それを持ってイソイソと帰って行きましたよ。別に一日を争うようなことでもないじゃないかって思ったんですがねえ・・・。そして翌々日京都で会ったら、妙にすっきりした顔をしているんですよ。

その時、ハハア~、これはおけいとうまくやってきたんだなって、やっとぼくも気づいたんです。それからあとは、もうコロッと人が変わったように、おけいのことを、”あいつはいいヤツだ”なんて、かなり手放しでノロけるようになったんですよ

と、証言しています。

交際後は四角佳子が急速に吉田拓郎に惹かれていた

こうして、吉田さんは、念願叶い、四角さんを落とすことに成功した訳ですが、交際がスタートすると、今度は、四角さんの方が、急速に吉田さんに惹かれていったそうで、

後に、四角さんは、

(好きになったのは)拓郎のウラオモテのない性格や言動、一途に生きているような純粋なところかな。

それから、外では何か言いたいことを言ったり、恐しいこと言ってるみたいだったけど、すごく子供っぽいところがあって、私の前ではそれをさらけ出すのよね。それがまた私には魅力だったな

と、明かしています。

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大ヒット曲「結婚しようよ」は四角佳子のための曲だった

そんな中、同年(1971年)夏には、吉田さんが、四角さんと部屋で一緒にレコードを聴いていた時、

(改まった様子ではなく)結婚しようか

と、プロポーズすると、

四角さんも、

うん

と、このプロポーズを快諾。

その後、吉田さんは、自身のラジオ番組で、四角さんとの婚約を発表すると、1972年6月、軽井沢の聖パウロ教会で結婚式を挙げたのでした。

(吉田さんは感動のあまり、むせび泣いたといいます)

ちなみに、この年の1月に発売し、大ヒットとなった、吉田さんの3枚目のシングル「結婚しようよ」は、四角さんのために作った曲だったそうです。

「吉田拓郎と四角佳子は結婚後すぐにケンカを繰り返していた!」に続く


結婚披露宴での吉田さんと四角佳子さん。

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