「インドラ・クラブ(Indra Club)」が閉鎖された後、別のクラブ「カイザーケラー(kaiserkeller)」でも大人気となった「ビートルズ」ですが、そんな中、スチュアート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe)さんは、この「カイザーケラー」で運命の人と出会ったといいます。

「スチュアート・サトクリフは初対面のリンゴ・スターにご馳走していた!」からの続き

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アストリッド・キルヒャーと出会って2ヶ月で婚約

「インドラ・クラブ(Indra Club)」が上階の住民から騒音で訴えられ閉鎖した後、別のクラブ「カイザーケラー(kaiserkeller)」では、ますます人気がうなぎのぼりとなっていった「ビートルズ」ですが、

実は、そんな中、スチュアートさんは、この「カイザーケラー」で、ドイツ人の写真家、アストリッド・キルヒャー(Astrid Kirchherr)さんと出会うと、ほどなくして交際するようになり、出会って2ヶ月後の1960年11月には、ドイツの伝統的な儀式で指輪を交換し、婚約しています。

今回は、そんなスチュアートさんとアストリッドさんの馴れ初めについてご紹介します。

きっかけはアストリッド・キルヒャーの当時の恋人のクラウス・フォアマン

当時アストリッド・キルヒャーさんの恋人だったグラフィックデザイナーのクラウス・フォアマンさんによると、ある夜のこと、映画でも観に行こうと歩いていると、地下から大きな音が聴こえてきたことから、何事かと思い、地下を降りていくと、客はみな革ジャンでロック・ファンという異様な光景に出くわしたそうで、そういうクラブに入るのは初めてだったこともあり、ただただ驚いたそうです。

そこで、クラウスさんは、そのまま腰を下ろして演奏を聴くことにしたそうですが、

(その時演奏していたのは、当時、リンゴ・スターさんが在籍していたバンド「ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ」だったそうです)

その演奏が終わり、次に、「ビートルズ」が登場して、演奏が始まると、クラウスさんは、すっかり、「ビートルズ」の虜になってしまったそうで、

クラウスさんは、後に、

次に出てきた連中の異様な格好に、僕は思わず目を見張った。曲目は「スイート・リトル・シックスティーン」で、ジョンが歌っていた。それはロリーのグループ以上に感動的だった。僕は目が離せなくなった

どうしてグループで、あんな上手に、あんなに強力で風変わりに演奏できるのか僕には解らなかった。しかもステージ上で彼らは絶えず跳ね回っていた。それが多分8時間以上も続いたんだ

と、語っています。

当初アストリッド・キルヒャーは「ビートルズ」に興味を示さなかった

そんなクラウスさんは、興奮冷めやらぬその翌日、恋人のアストリッド・キルヒャーさんに、自分が見てきた凄いものを興奮しつつ話したそうですが・・・

アストリッドさんはというと、「カイザーケラー」がまともな一般市民は近づかない歓楽街にあったことから、露骨に嫌な顔をしたのだそうです。

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クラウス・フォアマンは懸命に「ビートルズ」と関係を持とうとしていた

それでも、すっかり「ビートルズ」に魅了されたクラウスさんは、なんとかお近づきになりたいと、自分がデザインしたレコードジャケットを持参することを思いつき、その日の夜、再び「カイザーケラー」を訪れると、

長時間待ち続けた後、ようやく「ビートルズ」の休憩時間に、リーダーと思われるジョン・レノンさんに近づき、持参したジャケットを渡しながら、(ドイツ人のクラウスさんは)一生懸命、英語で語りかけたそうですが、

ジョンさんには、こういうのはスチュアートに見せたほうがいいというようなことを言われたそうで、クラウスさんはスチュアートさんに近づこうとしたそうですが、タイミングが悪く、渡せず仕舞いで終わったのだそうです。

(ちなみに、そんなクラウスさんは、後に、「ビートルズ」のアルバム「リボルバー」(1966)のジャケットを担当し、その後は、ジョン・レノンさんと妻のオノ・ヨーコさんのバンド「プラスティック・オノ・バンド」やジョージ・ハリスンさんのソロ活動時のベーシストとして活動しています)

「スチュアート・サトクリフとアストリッド・キルヒャーは互いに一目惚れだった!」に続く


リボルバー

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