友達が受ける舞台のオーディションに頼まれて付き添った際、自分も台本を読まされて、合格してしまい、その後、映画やテレビドラマに出演するようになったという、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さんですが、回ってくる役は端役ばかり。しかし、デビューから10年以上経った、30歳の時、ついに大きな運にめぐり逢います。
「毒蝮三太夫は映画監督になろうと日大の映画学科に進学していた!」からの続き
「ウルトラマン」の科学特捜隊・アラシ隊員役で子供たちの人気者に
テレビ黎明期の1950年代からテレビドラマに出演するも、なかなかいい役がもらえなかったという毒蝮さんですが、1966年、30歳の時、空想特撮シリーズ「ウルトラマン」の科学特捜隊・アラシ隊員役に抜擢。
すると、ドラマは大ヒットし、毒蝮さんも、自身が扮する射撃の名手でタフガイのアラシ隊員を熱演し、一躍、子供たちの人気者となります。
「ウルトラマン」でアラシ隊員に扮する毒蝮さん。
「ウルトラマン」出演が決まった当初はただただホッとしていた
ただ、毒蝮さんは、(「ウルトラマン」がこれほど長く愛される作品になるとは夢にも思っていなかったため)「ウルトラマン」のオファーが来た当初は、
毎週決まった仕事があると、生活が助かるな
と、ただただ、ホッとしただけだったそうです。
(毒蝮さんは、この頃すでに結婚していたそうですが、収入が不安定で、百貨店に務めていた奥さんが一家の大黒柱となって家計を支えてくれていたそうです)
「ウルトラマン」の出演は当初はバカにされていた
また、「ウルトラマン」では、テレビカラーの調整みたいなオレンジ色のスーツを着用していたことから、撮影が始まった頃は、これを着て、局(TBS)の中を歩いたり、街の中で撮影するのが、恥ずかしくたまらず、
(「ウルトラマン」は、当時まだ珍しかったカラー放送だったため、目立つような派手な衣装にされたそうです)
さらには、当時、子供向け番組は一段低く見られていたことから、役者仲間からは子供番組だとバカにされ、肩身が狭い思いをしていたのだそうです。
「ウルトラマン」では当初は真面目に演じていなかった
そのため、当初は、脚本をもらっても、自分に関係があるところしか読まず、「あの天井のライトを見て驚いてくれ」と言われれば、言われるがままにやっていただけで、全体がどういう話で、どういうシーンを演じているのかも、全然分かっていなかったそうです。
(つまり、ナメていたそうです)
ただ、いざ、放送が開始すると、回を重ねるごとにどんどん評判となり、外で撮影をしていると、たちまち子供たちに取り囲まれるほか、路地裏を歩いていても、子供が「シュワッチ」などど言ってジャンプしたり、スペシウム光線のポーズをしてきたりするようになったそうで、
スペシウム光線を放つウルトラマン。
さすがに、毒蝮さんも、背筋が伸びる思いになり、また、ムラマツ隊長役の小林昭二さんからも、
子どもにこびるんじゃなくて、一般のドラマと同じように演じないとダメだ
と、アドバイスを受け、気合を入れてやらなければと気持ちを新たにしたのだそうです。
(毒蝮さん以外の役者は、最初から真剣に取り組んでおり、特に小林さんは、先輩として、ほかの役者の監督や指導もしていたそうです)
ちなみに、毒蝮さんは、後に、
「ウルトラマン」が55年たった今でも人気があるのは、円谷英二監督をはじめ脚本家も演出家も、スタッフは誰ひとりとして「しょせん子ども向け」なんて気持ちがなかったからだと思う。
むしろ「子どもの目は騙せない」と畏怖の念を持ってた。高度経済成長のひずみとか人間の持つズルさとか、そういった難しいテーマに挑んでたよね。
と、語っています。
「毒蝮三太夫が若い頃は「ウルトラセブン」でフルハシ隊員役!」に続く