1969年、落語家・立川談志さんが演芸番組「笑点」を降板することになり、共に降板した、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さんは、一時は、定期収入がなくなり、厳しい日々を過ごしたそうですが、まもなく、ラジオ番組「ミュージックプレゼント」のパーソナリティに起用されると、やがては、自分の地を出し人気を博します。
「毒蝮三太夫が「深友」立川談志への想いをコメント!」からの続き
50年以上もラジオ「ミュージックプレゼント」でパーソナリティ
毒蝮さんは、1969年10月から、実に50年以上もの間、ラジオ番組「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」のパーソナリティーを務めているのですが、
この番組が始まった当初、放送が午前10時半からだったため、(平日の午前中に若い人がくるはずもなく)観衆がお年寄りだったことから、以降、現在に至るまで、お年寄りから人気を博し、毒蝮さんいわく、”年寄のアイドル”と呼ばれているのだそうです(笑)
ラジオ「ミュージックプレゼント」で生中継中の毒蝮さん。
高齢者を「ジジイ」「ババア」と呼んで人気を博す
ちなみに、この番組は、毒蝮さんが街に繰り出し、スーパー、商店街、工場、会社、銭湯など様々な場所を訪ね歩き、その様子を生放送する番組なのですが、
なんと、毒蝮さんは、番組中、出会った高齢者を「ジジイ」「ババア」と呼んでいるといいます。
というのも、番組が始まって最初の何年かは、「おばあさん、今日もいいお天気ですね」という風におとなしくやっていたそうですが、下町で生まれ育った毒蝮さんとしては、よそ行きのようで、どうもしっくり来ず、
(昔からの友人からもおまえらしくない、と言われていたそうです)
ある時、
猫かぶったまま無理して長く続けてても仕方ない。見逃しの三振だけはしたくない。降ろされてもいいから本当の自分を出そう
と、思うようになり、
開き直って、
うるせえな、ジジイ!
と、言い始めたのだそうです(笑)
「ジジイ」「ババア」と言い始めたのは母親の死がきっかけ?
また、別のインタビューでは、1973年の夏にお母さんが他界し、1週間の休みをもらって「ミュージックプレゼント」に復帰した日のこと、中継場所のスーパーには、いつものように暇なお年寄りたちが集まっていたそうですが、
その中に騒々しいおばあちゃんがおり、
ウチのババアはくたばったのに、このババアは憎たらしいほど元気だな
と、思っていると、
それが、無意識に、
うるせえな、ババア
と、言ってしまったそうで、これがきっかけだったとも語っています(笑)
「毒蝮三太夫は「ジジイババア」で抗議が殺到していた!」に続く
ラジオ「ミュージックプレゼント」で生中継中の毒蝮さん。