ラジオ番組「ミュージックプレゼント」では、お年寄りに対し、愛情を込めて「ジジイ」「ババア」と呼び、人気を博している、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さんですが、当初は、この呼び方に抗議が殺到したといいます。

「毒蝮三太夫がラジオ「ミュージックプレゼント」でジジイババア?」からの続き

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当初はラジオ局(TBS)に抗議が殺到していた

50年以上も自身がパーソナリティを務めるラジオ番組「ミュージックプレゼント」で、高齢者に対し、「ジジイ」「ババア」と呼び、人気を博している毒蝮さんですが、実は、当初は、抗議が殺到したそうです。

ただ、局(TBS)が、その方が毒蝮さんらしいと判断し、スポンサーに「蝮さんはこれでいいんです」と説得して守ってくれ、毒蝮さんには「今のままやってください」と言ってくれたそうで、

毒蝮さんは、

腹の据わってないスタッフだったら、あっという間に降ろされてるよ。

おかげで50年以上も続いている。ありがたいことだ。

と、語っています。

「ジジイ」「ババア」には親しみや敬意が込められていた

また、毒蝮さんは、

本当は公共の電波で、そんな言葉を使っちゃいけない。俺の「ジジイ、ババア」が許されてるのは、みんなが本音で暮らしている下町で、型にはまらないおやじとおふくろに育てられた素地があるからだと思ってる。

日常の言葉として身近にあったから、「きたねえババアだな」って言っても、そこに親しみや敬意を感じてもらえるんじゃないかな。

と、語っているのですが、

実際、中継先で出会う高齢者も「ジジイ、ババア」と呼ばれることを喜んでいるようで、毒蝮さんの言葉の表面的な部分ではなく、本質の部分がしっかりと伝わっているようです。


「ミュージックプレゼント」の生中継より。

突然ラジオのパーソナリティになった理由とは?

ところで、毒蝮さんは、なぜ、突然、ラジオのパーソナリティになったのでしょうか。

実は、毒蝮さんは、「笑点」を辞める直前の夏、とても暇だったことから(その時にはすでに「笑点」には出ていなかったそうです)、番組の打ち上げ麻雀大会に参加していたそうですが、

その後、「笑点」を辞めて、半年ぐらいブラブラしていた時、その麻雀大会に参加していたTBSラジオのディレクターが、「そういえば、ちょっと前に麻雀した毒蝮ってのが面白かったから」と、毒蝮さんを思い出し、「お前、やるか」と連絡をくれたのだそうです。

(毒蝮さんは、その麻雀大会でダジャレを連発していたそうで、それが面白いと思ってもらったそうですが、実は、当初、ディレクターは、月の家円鏡(橘家円蔵)さんに依頼したかったところ、都合が合わず、毒蝮さんに白羽の矢が立ったのだそうです)

ちなみに、毒蝮さんは、

捨てる神あれば、拾う神ありだ。べつに俺は、相手がディレクターだから面白いこと言ってたわけじゃない。いつも通りに下町風の軽口を叩いてたら、それを気に入ってくれたみたいだね。

と、語っています。

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立川談志に話をする仕事をずっと勧められていた

また、毒蝮さんは、親友で落語家の立川談志さんから、

怪獣ブーム(「ウルトラマン」のこと)なんて終わっちまう、お前はしゃべりで勝負しろ

と、ずっと言われ、

お膳立てまでしてもらって、「笑点」に出演するようになっていたのですが、この経験もラジオパーソナリティほか現在の自身の仕事のベースになっているとのことで、

一番影響を受けたのは立川談志、彼のおかげでいま飯が食えている。

と、語っています。

(談志さんは、2011年、75歳で、喉頭ガンのため他界されています)

「毒蝮三太夫のデビューからの出演CMドラマ映画を画像で!」に続く


「ミュージックプレゼント」の生中継より。

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