「新日本プロレス」を立ち上げると、様々なアイデアで一大プロレスブームを巻き起こした、アントニオ猪木(アントニオ いのき)さんですが、1983年8月11日、突然、「タイガーマスク」から「新日本プロレス」に内容証明書付きの契約解除通告書が届いたといいます。
「アントニオ猪木は昔モハメドアリと異種格闘技戦をしていた!」からの続き
クーデターを起こされ「新日本プロレス」を追放される
「日本プロレス」を追放されるも、「新日本プロレス」を立ち上げると、大物日本人対決や遺恨試合、異種格闘技戦などで観客を魅了し、1980年代には、「タイガーマスク」の登場で一大プロレスブームを巻き起こした猪木さんですが、
1983年8月11日、突然、「タイガーマスク」から「新日本プロレス」に内容証明書付きの契約解除通告書が届き、海外にいた猪木さんは、急遽8月20日に帰国すると、翌日の21日には、常務取締役の望月和治さんと取締役の山本小鉄さんから退任を迫られ、同月25日には、「新日本プロレス事務所」で行われた緊急役員会で社長のポストから降ろされます。
新間寿の証言
ちなみに、猪木さんとともに「新日本プロレス」を立ち上げ、様々な企画を生み出した、専務取締役兼営業本部長の新間寿さんも「新日本プロレス」を追放されているのですが、
追放される直前の24日、猪木さんと対面した時のことを、
忘れもしない1983年8月24日。まさに寝耳に水だった。今も耳にこびりつき夢にまで出てくるアントニオ猪木の声。
「新間、もうダメだ」
「俺が両手をついて頼むから新日本プロレスを辞めてくれ」
その瞬間、目の前が真っ暗になった。何とも弱々しい猪木の声。これが世界最強の男の吐く言葉か。
「な、何で、社長・・・・・・」
すぐには信じられなかった。何が起こっているのかすらも理解できなかった。が、猪木の声を聞いてるうちに、プロレスの情熱がスーッと抜けていった。
と、明かしています。
「新日本プロレス」を追放された理由とは
ところで、このクーデター、実は、猪木さんが、「新日本プロレス」の資金を自身の事業である「アントン・ハイセル業」に投資し、「新日本プロレス」の経営を圧迫していたことが原因で、
そのことを不満に思った、望月和治さん、大塚博美さん、山本小鉄さんの3人を中心とした、所属メンバーや社員に起こされており、
前述の新間さんの証言にもあるように、猪木さんは観念していたのですが・・・
テレビ朝日の重役の一言で「新日本プロレス」に復帰
1983年8月29日には、望月和治さん、大塚博美さん、山本小鉄さんの3人によるクーデター派の新体制が発足するも、
「テレビ朝日」の某重役の、
猪木がいなくてもプロレスを続けられるのか?猪木が新日プロを辞めたらテレビ朝日は放送を打ち切るよ。
という一言で、たちまち力を失うことになります。
そして、同年11月1日には、「新日プロ事務所」で臨時株主総会が開かれ、猪木さんは代表取締役社長に復帰したのでした。