「新日本プロレス」では、”プロレスこそ全ての格闘技の頂点である”とのスローガンを掲げ、当時、プロボクシング統一世界ヘビー級チャンピオンだったモハメド・アリさんとの格闘技世界一決定戦など異種格闘技戦を組み勝利するなど、最強を誇った、アントニオ猪木(あんとにお いのき)さんですが、ついに引退の時がやってきます。

「アントニオ猪木は昔「新日本プロレス」でクーデターを起こされていた!」からの続き

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寄る年波には勝てず徐々に衰えを見せ始める

「新日本プロレス」ではクーデターを起こされるも、自身の人気により復権した猪木さんですが、最強を誇った肝心のプロレスの方では、寄る年波には勝てず、徐々に衰えを見せ始め、

1988年8月8日には、かつて猪木さんの付き人もしていた藤波辰爾さんとの試合で、何とか食らいついてのフルタイムドロー、


「IWGPヘビー級選手権」(1988年8月8日)で熱戦を繰り広げる、藤波辰爾さん(左)と猪木さん(右)。

1989年2月22日の長州力さんとの試合では、長州力さんのリキラリアート6連発に完璧なピンフォール負け、


長州力さん(右)に完敗した猪木さん(右)。

1989年4月24日の、ショータ・チョチョシビリ戦では、初の異種格闘技戦黒星を喫してしまい、


ショータ・チョチョシビリさん(下)にKO負けを喫した猪木さん(上)。

1993年には、ついに、報道陣を前に「近い将来の引退」を表明します。

平成4年4月4日午後4時に東京ドームで引退試合

それでも、猪木さんは、その後、「ファイナルカウントダウン」と銘打ち、強豪と激闘を繰り広げるのですが・・・

ついに、1998年(平成4年)には、4月4日午後4時に東京ドームで引退試合を行うことを発表。(猪木さん55歳)

ちなみに、この4が4つ並んだ日時は、

猪木がプロレスラーとして死を迎える

と報道されて、大きな話題となり、引退試合のチケットは前売りで完売(7万人)したのでした。

引退試合の対戦相手はドン・フライ

こうして、迎えた平成4年4月4日午後4時、「炎のファイター~オーケストラ・バージョン」が流れると、

猪木さんの引退試合の対戦相手を決める、「THE FINAL INOKI TOURNAMENT」の準決勝が2試合行われ、

続いて、「新日本 vs NWOジャパン・タッグマッチ」「6人タッグマッチ」「BEST OF THE SUPER Jr.前哨戦」2試合が行われると、

「THE FINAL INOKI TOURNAMENT」決勝戦は、猪木さんの愛弟子で元柔道家の小川直也さんと、アメリカUFCチャンピオンのドン・フライさんの激闘となり、ドン・フライさんが勝利を収めます。

引退試合の対戦相手は?

その後、「IWGPジュニア・ヘビー級選手権試合」「IWGPタッグ選手権試合」「IWGPヘビー級選手権試合」が行われると、いよいよ、猪木さんの引退試合となるのですが、

まずは、オーロラビジョンに猪木さんの過去の名場面が流され、その後、対戦相手となったドン・フライさんの入場、続いて、異種格闘技戦で激闘を繰り広げたモハメド・アリさんがタキシード姿で入場し、入場ゲート横の聖火台に聖火を灯します。

すると、ここで、「イノキ・ボンバイエ」が流れ、7万人の観衆のボルテージは最高潮に。

そして、猪木コールの大合唱の中、猪木さんが白地に赤のフチが入ったガウンを着て、長いドームの花道を小走りで入場したのでした。

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引退試合の結果は?

こうして、最高の盛り上がりの中、午後8時26分、ゴングが鳴り、試合が始まると、猪木さんは、パンチを繰り出すフライさんに押されつつも、離れては浴びせ蹴りと応戦。

そして、グランド戦となると、さすがに高い技術を持った猪木さんがフライさんを圧倒し、その後、猪木さんは、たまらず立ち上がったフライさんのバックをとり、スリーパーホールドをかけようとするのですが、フライさんは、逆にこれを返して、猪木さんの上に馬乗りし、マウントパンチ。

しかし、すぐさま猪木さんは体を入れ替え、逆にフライさんに馬乗りマウントパンチ。そして、なんとか逃れて立とうとした、フライさんの顔面に蹴りを入れると、その後、延髄斬り(えんずいぎり)からコブラツイスト、さらに、そこからグランドコブラ。

すると、たまらず、フライさんは耐え切れずギブアップし、猪木さんは見事、引退試合を勝利で飾ったのでした。

「アントニオ猪木は金正日の招待で北朝鮮「平和の祭典」を成功させていた!」に続く


アントニオ猪木引退試合」のCMより。(タップでyoutube)

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