1989年にインディーズバンド「LUNACY」の「RAYLA」として、独特の世界観を表す楽曲で人気を博した後、「LUNA SEA」としてメジャーデビューされた、河村隆一(かわむら りゅういち)さん。「LUNA SEA」でも、瞬く間に人気ロックバンドの地位を確立されますが、バンド活動休止後のソロ活動では、セカンドアルバム「Love」が320万枚を売り上げる驚異的なセールスを記録するなど、「LUNA SEA」を超える人気を博しました。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
河村さんは、1970年5月20日生まれ、
神奈川県大和市のご出身、
身長171センチ、
血液型はO型、
学歴は、
日本工業大学付属東京工業高等学校中退、
(現・日本工業大学駒場高等学校)
趣味は、
サーフィン、ボクシング、フェラーリ、
ちなみに、「河村隆一」は本名で、奥さんの実家に養子縁組後は、「佐野隆一(さの りゅういち)」となっています。
音楽が好きな幼少期
河村さんは、幼い頃から歌がうまく、小学校の時にはすでに、友人のバンドのヴォーカルとして、中学や高校の文化祭で歌を歌っていたそうです。
また、音楽自体もとても好きだったそうで、
一人っ子だし、両親が離別したのもあって、一人で過ごす時間が長かったのですが、その時よく思ったのは、せっかくなら、ワクワクする時間に長く身を置きたいということ。
それが僕にとってはバンドの練習やライブなど、音楽にかかわっている時間でした。
と、おっしゃっていました。
SLAUGHTER(スローター)で活動
そんな河村さんは、その後、音楽で食べていく決意をされたそうで、高校を2年で中退すると、プロのミュージシャンを目指し、「SLAUGHTER(スローター)」というバンドで活動。
ただ、間もなく解散してしまったようで、町田のライブハウスで知り合った「LUNA SEA(当時LUNACY)」がヴォーカルが脱退したことを知ると、楽屋を訪問して交渉し、ヴォーカルとして加入されたのでした。
昔はインディーズバンド「LUNACY」
こうして、河村さんが加わった「LUNACY」は、1989年5月から活動を開始すると、独自の世界観を表す楽曲やヴィジュアル系のメイクでファンの心をわしづかみに。
「LUNACY」(後列左から)SUGIZOさん、RYUICHI(河村)さん、Jさん、(前列左から)真矢さん、INORANさん。
特に、河村さんの、足首まである長い髪、激しい衣装、挑発的なMC、
そして、
俺を殺してくれ!
お前ら、俺の前で死んでみろよ!
などの絶叫は、ファンとの間に独特の絆を作り出し、カリスマ的な人気となったようで、
河村さんは当時を振り返り、
(収入はほとんどなかったが)ただ、メジャーデビューを目指す途上にいることも嫌いじゃなかったです。
とにかく自分たちの音楽とセンスを信じて、アグレッシブに突き進んでいく感じって、今思い出しても痛快で楽しい。
と、おっしゃっていました。
「LUNA SEA」として人気を博す
その後、河村さんら「LUNACY」は、1991年に「LUNA SEA」と改名し、1992年に、セカンドアルバム「IMAGE(DVD付)」でメジャーデビューすると、
1994年には、3枚目のシングル、「ROSIER」が大ヒットを記録。
「LUNA SEA」は、一躍、メジャーでも人気バンドとなったのでした。
そして、その後もヒット曲を連発すると、テレビ番組への出演も激増。
広く一般にも知名度が浸透し、人気ロックバンドの地位を確立されています。
活動休止~ソロで大ブレイク~
その後、1996年12月に、「LUNA SEA」は活動を休止するのですが、これを機会にソロ活動をスタートした河村さんは、「LUNA SEA」時代とは、一転、爽やかなキャラクターを前面に押し出し、
1997年2月「I love you」
4月「Glass」
7月「BEAT」
10月「Love is…」
と、立て続けにシングルをリリースすると、ことごとくヒットを記録。
特に2枚目のシングル「Glass」は、自身初のミリオンセラーを達成されています。
また、2枚目のアルバム「Love」(1997年11月)が、男性ソロアーティストのアルバム売上歴代1位を記録すると、その年の「NHK紅白歌合戦」にも出場されるほか、テレビドラマやバラエティにも積極的に出演されるなど、河村さんは、「LUNA SEA」以上の、
大ブレイクを果たされたのでした。