1992年、セカンドアルバム「IMAGE」でメジャーデビューを果たし、絶大な支持を得て、日本武道館、東京ドーム公演を成功させた、ヴィジュアル系ロックバンド「LUNA SEA」。夢と現実を行き来するような独特の世界観を持つ楽曲や、ファンを「SLAVE」(直訳すると「奴隷」)と呼ぶ強烈なカリスマ性で、多くのファンを魅了しています。


そんな「LUNA SEA」の結成から、
終幕(活動停止)までを調べてみました!

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「LUNACY」

「LUNA SEA」は、INORANさんとJさんが、
中学生の時、知り合われ、
音楽活動を開始されるところから始まります。

そして、お二人は、中学卒業後の1986年、
同じ高校に進学され、他の友人たちとともに、
「LUNACY」を結成。
(1990年11月「LUNA SEA」に改名)

その後、1989年、
他のメンバーが辞め、二人だけになると、

もともと、同じ高校で、
時々、「LUNACY」のサポートとして、
ドラムをされていた真矢さんに正式に加入を依頼。

すると、その時、真矢さんが、

「SUGIZOも一緒じゃないと嫌だ」

と、言われたそうで、

真矢さんとともにSUGIZOさんも、
加入されたのでした。

(実は、INORANさん、Jさん、SUGIZOさんは、
 中学が同じだったそうですが、学年が違ったことや、
 生徒数が多かったことから、お互い知らなかったそうです。
 ちなみに、高校も同じです。)

RYUICHIが加入

同じ頃、高校を2年で中退し、
プロのミュージシャンを目指して活動していた、
RYUICHI(河村隆一)さんが「LUNACY」の楽屋を訪問し、

(ご自身のバンド「SLAUGHTER(スローター)」が解散したことや、
 「LUNACY」のヴォーカルが脱退したことで、
 おそらく入れてほしいということだったと思われます。)

RYUICHIさんが、
新たにヴォーカルとして加入。

ちなみに、RYUICHIさんが初めて、
「LUNACY」の楽屋を訪問された際、

「ミスタードーナッツ」のドーナツを、
差し入れで持って行かれたそうですが、

メンバー4人に対して、
ドーナッツ2個しかなかったそうで、

当時、バンド活動を優先し、
アルバイトがそんなにできず、
お金がなかったのかもしれませんね。

「プレイハウス」で初ライブ

こうして、1989年5月、
5人は活動を開始し、町田のライブハウス、
「プレイハウス」で初ライブ。

この時、観客は10数名ほどだったそうですが、
徐々に増えていき、

同年8月に、デモテープ「LUNACY」
を発売すると、100本が完売。

2ヶ月後の10月には、
活動の拠点を都内に移し、

12月にセカンドデモテープ、
「SHADE」を発売すると、
半年かけて、1000本が完売。

また、「プレイハウス」で、
初のワンマンライブを行うと、

観客動員数150人を記録するなど、
徐々に頭角を表していきます。

インディーズデビュー

そして、1991年4月、インディーズより、
ファーストアルバム「LUNA SEA」をリリースすると、

初回プレス盤1万枚が、
予約で完売するほどのヒットを記録。

「LUNA SEA」

また、同年6月、初の全国ライブツアー、
「UNDER THE NEW MOON TOUR EPISODE」
をスタートさせると、2800人の観客動員数を記録。

翌月の7月には、2回目のライブハウスツアー、
「UNDER THE NEW MOON TOUR EPISODE II」で、
3500人の観客動員数を記録するなど、
凄まじい勢いでファンを獲得していったのでした。

インディーズ時代の「LUNA SEA」

ちなみに、インディーズ時代の「LUNA SEA」は、
長髪にヴィジュアル系の衣装とメイク、というルックスに加え、
独自の世界観を表す楽曲を演奏&歌唱されているのですが、

(特にRYUICHIさんの髪の毛は、
 エクステも含め、足首まであったそうです。)

RYUICHIさんの、

「俺を殺してくれ!」
「お前ら、俺の前で死んでみろよ!」

などの絶叫が、独特の空間を創り上げ、

さらに、ファンを「SLAVE(スレイヴ)」
(直訳すると「奴隷」)と呼び、

6番目のメンバーとして位置づけるなど、
ファンと強い絆を結ばれていったのでした。

メジャーデビュー

そんな「LUNA SEA」は、1992年5月21日、
セカンドアルバム「IMAGE」で、
メジャーデビューを果たすと、オリコン初登場9位を獲得。

「IMAGE」

そして、その1週間後の5月28日からスタートした、
「LUNA SEA CONCERT TOUR 1992 IMAGE OR REAL」では、
観客総動員数7000人を記録。

同年9月からスタートした、
「LUNA SEA CONCERT TOUR 1992 AFTER the IMAGE」では、
観客総動員数16000人を記録と、

インディーズ時代に培ったライブで、
実力を見せつけます。

「ROSIER」が大ヒット

また、翌年の1993年2月、
バンドを結成して以来、初のシングル、

「BELIEVE」をリリースすると、
オリコン初登場11位を記録し、

「LUNA SEA CONCERT TOUR 1993 SEARCH FOR MY EDEN」では、
観客総動員数26000人を記録するなど、
人気はヒートアップ。

その後も、「LUNA SEA」は、
順調に活動を続け、

1994年7月には、サードシングル「ROSIER」が、
オリコン初登場3位を記録。

サビの部分、「揺れて~揺れて~」の
フレーズでお馴染みとなり、
以降、ロングヒットとなったのでした。

また、この頃、「LUNA SEA」は、
歌番組にもよく出演するようになり、
一般にも知名度が浸透。

人気ロックバンドとしての地位を、
不動のものにされたのでした。

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人気絶頂から終幕へ

また、1996年には、
7thシングル「END OF SORROW」
5thアルバム「STYLE」
が、ともにオリコン初登場1位を記録。


「LUNA SEA CONCERT TOUR 1996 UN ENDING STYLE」では、
観客総動員数12万人を記録するなど、

留まることを知らない「LUNA SEA」でしたが、
同年12月には、一旦、活動を休止しています。

そして、メンバーぞれぞれのソロ活動を経て、
1998年に活動を再開すると、

9thシングル「STORM」
10thシングル「SHINE」


が、いずれもオリコン初登場1位を記録。
「LUNA SEA」は、休止期間を経ても、
安定した人気を見せつけたのでした。

(さらに、翌年の1999年には、
 初のアジアツアーが成功しています)

しかし、2000年、
「LUNA SEA」は、人気絶頂のなか、
終幕(活動休止)されたのでした。

「終幕の理由」に続く

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