泉ピン子は若い頃ウィークエンダーのリポーターでブレイクしていた!


中学3年生で歌手として活動を始めるも、自身の容姿ではスターにはなれないと感じ、18歳の時、漫談歌手に転身した、泉ピン子(いずみ ぴんこ)さんですが、なかなか芽が出ません。しかし、27歳の時、ついに、バラエティ番組「ウィークエンダー」で人気が出ると、これをきっかけに女優に転身。その後、少しずつ女優として認められるようになっていきます。

「泉ピン子の下積み(牧伸二の付き人)時代が悲惨すぎる!」からの続き

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「テレビ3面記事 ウィークエンダー」のリポーターでブレイク

1966年、18歳の時、漫談歌手への道に進むべく、ウクレレ漫談家・牧伸二さんの付き人として、過酷すぎる生活を送られていた泉さんは、その後、バラエティ番組「底ぬけ脱線ゲーム」などに出演するも、まったく売れない状態が続きます。

しかし、1975年、27歳の時、バラエティ番組「テレビ3面記事 ウィークエンダー」に欠員が出たことから、番組リポーターに抜擢されると、豚の交尾について熱弁するなど、スタジオを盛り上げ、大ブレイク。


「ウィークエンダー」出演時の泉さん。

ちなみに、泉さんは、当時を振り返り、

牛のオッパイも嫌なほど可憐な女の子だった

と、語っておられるのですが、

この番組は、全国で伝えられることのないB級事件の解説や、下世話な話題、下ネタ等を取り上げることが多かったため、泉さんは、「新日本婦人の会」が選ぶ「ワーストタレント1位」に選ばれたこともあったそうで、知名度アップとは裏腹に不本意な仕事だったようです。

女優に転身

そんな泉さんは、同年、「美人でなく、知的でもなく、金もない、“3ナイ女優”」を探していた、TBSの演出家・鴨下信一さんにテレビドラマに誘われ、鴨下さん演出のテレビドラマ「花吹雪はしご一家」に出演するのですが、


「花吹雪はしご一家」より。左が泉さん。

演技経験のない泉さんは、懸命に演じるも、うまく演じることができず、「ヘタ子」というあだ名がついてしまいます。

ただ、めげずにひたむきに演技をしているうちに、やがて、先輩俳優たちから可愛がられるようになり、

俳優の森繁久彌さんからは、

お前は役者で食える。芸人はやめて女優一本でいけ。

と、言われたそうで、

以降、女優に絞り、数多くのテレビドラマや映画に出演されると、1980年には、テレビドラマ「手ごろな女」で初の主演を務めるなど、徐々に女優として認められるようになったのでした。

「哀恋蝶」で歌手デビューも

また、1977年には、ファーストシングル「哀恋蝶」で歌手デビューも果たすと、10万枚を売り上げるヒットを記録。


「哀恋蝶」より。

以降、

1978年2月「ひとり寝化粧/どうぞお先に」
     5月「岬恋唄/誘い水」
     9月「チョット見のいい女/夜汽車」
1979年10月「抱擁/哀恋蝶」
1980年9月「おばかさん/東京心中地図」
1981年10月「一番星みつけた/夢の中でも」
1990年6月「駄目な時ゃダメさ/幸せたずね人」

と、シングルをリリースし、念願の歌手としても活動されています。

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「おしん」でブレイク

そして、1983年、泉さんは、NHK連続テレビ小説「おしん」で、おしんの母親・谷村ふじ役を演じると、このドラマは、平均視聴率52.6%という、超高視聴率を記録する国民的人気番組となり、泉さんも大ブレイク。


「おしん」より。(左から)泉さん、大路三千緒さん、小林綾子さん。

また、このドラマの脚本家、橋田壽賀子さんにも高く評価され、

1990年「渡る世間は鬼ばかり」
1992年 NHK連続テレビ小説「おんなは度胸」
2013年「なるようになるさ」

など、橋田さんが脚本を担当するドラマに次々と抜擢され、女優として不動の地位を確立されたのでした。

ちなみに、泉さんは、「おしん」で、橋田さんから、真冬に極寒の川に入るというシーンの依頼を直々に受け、その撮影は6時間にも及んだそうですが、見事に演じ切ったそうで、そんな泉さんの女優魂も、橋田さんは気に入ったのかもしれませんね。

(ただ、その後、数カ月間、生理がこなくなってしまったそうです)

「渡る世間は鬼ばかり」より。(左から)赤木春恵さん、えなりかずきさん、泉さん。

「泉ピン子のデビューからの出演映画ドラマ舞台を画像で!」に続く

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