1980年代、「24時間戦えますか!」のキャッチフレーズと共に大流行した、リゲインのCMに出演され、一躍ブレイクされた、俳優の時任三郎(ときとう さぶろう)さん。その渋い声を活かして「勇気のしるし」をCMで歌われ、一大ブームを巻き起こしました。俳優としても、その存在感と抜群の演技力で、男性からも女性からも、今尚、根強く支持されています。
時任さんは東京生まれですが、
お父さんのお仕事の都合でしょうか、
その後、青森弘前市へ、
そして、幼稚園から大学までを、
大阪府松原市で過ごされたそうです。
幼い頃から物作りが大好きで、
大工に憧れていた時任さん。
大工さんになりたくて、高校は、
大阪市立工芸高等学校木材工芸科(現インテリアデザイン科)
に進学されました。
その後、大学は、
大阪芸術大学デザイン学科に入学されましたが、
そこでお芝居に目覚められたそうです。
大学に入ったときに芝居と出合った。
昔、絵を描くのが好きで、
でも絵を描くときには鉛筆とか筆を使うよね。立体の場合も、木材と鑿(のみ)が必要。
道具を使って作るじゃないですか。大学の小さいアングラ劇団で演じてみたとき、
「これだ!」と思ったんです。それまでは道具を使って物を作っていくことをやろうとしていた。
その道具が、自分の身体であり、精神である。
全部がつながりました。
自分のやることはこれなんだという、確信に近い感覚。
と、インタビューで、
お芝居との出会いを語っておられました。
昔から好きだった物づくりと、
お芝居が見事に融合したわけですね!
そんなお芝居との衝撃的な出会いから、
約1年後には大学をやめ、上京されたのだそうです。
デビューは?
1980年、時任さんが22歳の時、
ミュージカル「ヘアー」で俳優デビューを飾られ、
その翌年、テレビドラマ「虹色の森」で、
テレビドラマ初出演を果たされました。
時任さんは、
シンガーソングライターの北村和明役を演じられ、
時任さんが歌われた挿入歌
「川の流れを抱いて眠りたい」が大ヒットを記録!
歌手としても、この歌でデビューされます。
1983年には、「ふぞろいの林檎たち」で、
落ちこぼれの大学生、岩田 健一役を演じ、注目を集められます。
「ふぞろいの林檎たち」より。(左から)石原真理子さん、
柳沢慎吾さん、中井貴一さん、手塚理美さん、
時任三郎さん、中島唱子さん。
そして、1984年の映画「海燕ジョーの奇跡」では、
主人公の海燕(うみつばめ)ジョー役で、
その人気を不動のものとされました。
その後、映画やドラマに多数出演され、
順調すぎるほど順調にキャリアを積まれた時任さん。
当時、映画やドラマの制作者は、誰もが、
時任さんを起用したかったと言われています。
突然の休養
しかし、人気絶頂だった1988年、
時任さんは突然休養に入られます。
その理由を、
コミュニケーションがうまくとれないのが、
俺の欠点だと思うんだけど、
そのころは、ものごとが自分の思いとは、
全然違う方向に動いていました。他人の作った線路を走ってる状況で、
そういう自分にガマンならなかったんです。自分で敷いた線路を走りたいし、
石橋を叩いて壊したうえで、自分で橋作って渡りたいタチだし(笑)。
やっぱりどこか風来坊的なところがあるんです。
と語っておられました。
役者としての才能をお持ちで、
見事、開花された時任さんですが、
人気が出るにつれて、
必ずしもご自分がやりたいことを、
やっているわけではないと、気づかれたようです。
恵まれた悩みにも思えますが、
あまりに才能あふれる人、
ならではの、悩みなのかもしれません。
そんな時任さんですが、
プライベートはどのような感じなのでしょうか?
調べてみました!
嫁は?
時任さんは、1991年、33歳の時に、
元女優でタレントだった、
橋本千佳(はしもと ちか)さんという方と、
結婚されたようです。
千佳さんは現在、
スピリチュアルカウンセラーや、
ヨガのインストラクターとして、活動されており、
本なども出版されているようです。
どうやら、時任さんとの結婚前後に、
自らの能力に目覚めてしまったのだとか!
馴れ初めは?
中日新聞の「家族のことを話そう」というコーナーに
千佳さんがご自身のことと、
時任さんの出会いを語っておられました。
幼稚園の頃に両親が離婚され、
お母さんに引き取られた、千佳さんでしたが、
お母さんは、おばあさんが経営する飲食店で、
1日中働いておられたため、
朝しかお母さんの姿を見ることができず、
寂しい幼少期を過ごされたのだそうです。
北九州市の高校を卒業後、上京され、
モデルの仕事を始められた千佳さんですが、
子どもの頃から患っていた、
ぜんそくやアレルギー体質で、常に体調が悪く、
忙しくなると、症状がひどくなり、
病院に運ばれることもあったそうです。
起き上がれず、部屋で寝ている日々が続き、
たまたま読んだ本の影響で、
健康な自分をイメージされ、祈っていたのだそうです。
イメージングの効果はすぐに表れたそうで、
誘われたパラグライダーの集まりに、
気分転換を兼ねて参加され、
そこで、夫となる時任さんと出会われたのでした!
捻挫(ねんざ)してしまった千佳さんに、
時任さんが、氷を持ってきてくれたことがきっかけとなり、
仲良くなられたのだそうです♪
そして、友人たちと一緒に遊びに行ったニュージーランドで、
ここで結婚式を挙げよう
と時任さんが言ってくれたのだとか!
雄大な自然の中でのプロポーズ、
ロマンティックですね!
夫は、今、この瞬間を生きる大切さを知っている、
器の大きい人。24歳で結婚し、4半世紀がすぎた今も、
家族という絆の中で、
私たちを静かに守り続けてくれています。
と、千佳さん。
お二人の、強い絆が伺えますね♪
子どもは?移住?
時任さんのお子さんは、
上から、息子さん、娘さん、息子さんの、
3人だそうです。
1999年、千佳さんが、
3人目のお子さんを妊娠された時から、
ニュージーランドへ移住されたのだとか!
時任さんの、
大好きな子どもたちと一緒にいる時間を増やしたい
との思いと、
千佳さんの体調を気遣っての決断だったようです。
その間、時任さんは仕事をほとんど入れず、
すべての時間を、家族と過ごすことに使ったのだそうです!
そんな生活の甲斐あって、千佳さんは癒され、
体調も回復に向かったのだそうです。
時任さん、すご過ぎですね~
帰国
2003年、子育ても一段落され、
時任さん一家は、帰国されたようです。
そして、時任さんは、
俳優業を再開されました。
ご自身のプライベートの影響でしょうか、
浜田省吾さんの「I am a father」や、
aikoさんの「三国駅」のプロモーションビデオで、
父親役を演じられているのだとか。
自身の人生の舵を自身で取られ、
見事に操縦されている、時任さん。
これからもずっと、
幸せな航路を進んで行ってほしいですね!
応援しています!!