夜道、突然、チンピラ2人組に絡まれて応戦している中、ヤクザに止められ、事なきを得たかと思いきや、その直後、背中に冷たい衝撃が走り、気がつくと救急車に乗せられていたという、愛川欽也(あいかわ きんや)さんですが、2日間の入院を経て家に帰ると、お母さんのある告白に、頭の中が真っ白になるほどの衝撃を受けたといいます。
「愛川欽也は若い頃チンピラに背中を刺されていた!」からの続き
父親が敗戦の翌年に他界していたことを母親から聞く
知らぬ間にチンピラに背中を刺され、救急車で搬送されたという愛佳さんですが、幸い、大事には至らず、2日間の入院で退院することができ、自宅(巣鴨)に帰ると、お母さんに、話があるから聞いてほしいと言われたそうです。
(医師には、傷があと1センチ深かったら危なかったかもしれないと言われたそうですが、この出来事はお母さんには知らせなかったそうで、また、しょっちゅう外泊していたため、お母さんは心配していなかったそうです)
そして、お母さんが、いつになく緊張した様子で、
母さんはね、お前のすることには何一つ反対をしたことがなかった。これからだって一生そうしようと思ってる。だから、母さんの決めたことに、お前も反対しないでおくれよ
と、話し始めると、
お父さんが敗戦の翌年(1946年)には病気で他界していたことを明かしたそうで、お母さんによると、お母さんがお父さんの知り合いから知らされた時には、すでにお父さんのお葬式等、何もかもが終わっていて、埼玉の田舎のお墓に納められていたとのことで、お母さんは、今までお父さんの死を黙っていたことを、愛川さんに何度も謝ったのだそうです。
(お母さんは一度もお墓参りには行っていないそうです)
父親の死には冷静だったが・・・
ただ、愛川さんは、この話を聞き、お母さんが巣鴨の家で、親子3人、静かな一生を過ごすことを夢見て、愛川さんを育てていたのに、(戦争があったとはいえ)結局、お父さんは、お母さんを籍に入れぬまま、この世を去ってしまったことに思うところがあり、
(お父さんは妻子がある身で、お母さんと交際し、愛川さんが誕生していました)
苦労を感じる暇もなく、息子を育てるのに必死で生きてきたお母さんを思うと、今さら、お父さんが生きていようがいまいが大きな違いはなかったそうです。
(とはいえ、「ごめんねなんて謝らなくていいよ」とは言えず、ただ、黙ってお母さんの話を聞いていたそうです)
母親から再婚話を打ち明けられ頭の中が真っ白になる
しかし、続けて、お母さんが、「大事な話なんだけど」と言いながら、
母さんはある人のお宅へ行くことに決めたよ。歳をとった男の人でね、老後の世話っていうのかね。
お子さんは3人いるんだけれど、ぜんぶ家庭を持って家から出て行ってしまってるんだってさ。その人がさ、母さんにきちんと家に入ってくれって言うんだよ
母さんはひと月じっと考えていたんだけど、敏雄(愛川さんの本名)だって自分ひとりだけならやっていけるだろう。
もちろん母さんはその人から生活費をもらってさ、少しは敏雄の助けにもなれると思う。お前も頑張っていい俳優になるんだよ。母さんは母さんで先が心配だから、その方の所へ行くことに決めたの
もちろん、その人にはお前のことは話したよ。お前にも挨拶したいと言っているし、いつでも訪ねてきていいとも言ってくれている。お前さえよければ今まで通り母さんといつでも会えるんだよ。いいよね。許してくれるよね
お前にも本当は喜んでもらいたいのに、それは無理だよね。私たち二人っきりで生きてきたんだもの。でもね、これから先のことを考えると、母さんも不安なのよ。
もうそんなに若くないし、今までのように家政婦をやったり病院で掃除婦をして働くのもきついの。わかってくれるだろ。母さんもこれから一人で生きていくことを考えると仕方がないのよ
と、言葉を選びながら言いにくそうに言うと、
愛川さんは、突然のお母さんの再婚話に頭の中が白く溶けていくような気がして、まだ続きそうなお母さんの話を遮って立ち上がると、玄関に向かったそうで、
背後からお母さんが、
明後日にはそちらの家へ行くことにしたのよ。あと二晩しかお前と二人だけで過ごせないんだよ。一緒に御飯を食べようよ。母さん、お前の好きなオムライスかバターライスを作るから
と、言ったそうですが、
愛川さんは、そのまま、靴を履いて家を出たのだそうです。
「愛川欽也は母親が再婚する前日には特別な時を過ごしていた!」に続く