1969年、当時「ビートルズ」のメンバーだったジョン・レノンさんと結婚すると、以降、夫婦で、アーティスト活動や平和活動をした、オノ・ヨーコさんですが、今回は、そんなジョンさんとの間に誕生した、息子(長男)についてご紹介します。
「オノ・ヨーコは昔5歳の娘(長女)に絶縁されていた!」からの続き
息子(長男)はショーン・レノン
オノさんの息子(長男)は、1975年10月9日に誕生した(偶然にもジョン・レノンさんと同じ誕生日)、ミュージシャンのショーン・レノンさんで、
(※厳密には、オノさんはジョンさんとの最初の子供を1968年11月21日に流産しているので、ショーンさんは次男)
1984年、母親・オノさんのカヴァーアルバム「Every Man Has A Woman」でレコードデビューすると、1990年には、オノさんや佐野元春さんの企画アルバム「HAPPY BIRTHDAY, JOHN」に参加するほか、
1991年には、レニー・クラヴィッツさんのアルバム「ママ・セッド(Mama Said)」で、楽曲「オール・アイ・エヴァー・ウォンテッド(All I Ever Wanted)」を共作。
その後、1990年代半ばから、本格的に音楽活動を始めると、1995年には、オノさんのアルバム「ライジング(Rising)」で、自身のバンド「IMA」として参加。
また、1998年には、初のソロアルバム「Into The Sun」を発売すると、
翌年の1999年には、ミニアルバム「half・horse・half・musician」を発売しています。
息子(長男)ショーン・レノンはロックバンド「Nirvana」に入りたかった
そんなショーンさんは、2006年には、2作目のソロアルバム「Friendly Fire」を発売しているのですが、その際、「今となっては浅はかだったが」と前置きしつつ、少年時代からファンだったという、ロックバンド「Nirvana(ニルヴァーナ)」のドラムのデイヴ・グロールさんに、「Nirvana」に入れてほしいと、デモテープを同封した手紙を送っていたことを明かしています。
ただ、デイヴさんからの返事は、
君の送ってくれた音楽をいつも聞いているけど、フー・ファイターズという新バンドをやるので出来ない
で、「Nirvana」に入ることは叶わなかったそうですが、それでも、ショーンさんは、新バンドができることについて喜んだそうで、
さらには、
この方向がもし違ったら、自分の2枚目のアルバムが出来なかったかもしれない
と、このことをきっかけに、2作目のソロアルバム「Friendly Fire」ができたことを明かしています。
息子(長男)ショーン・レノンはHONDA「フリード」や資生堂「ダンガリー」のCMにも出演していた
また、ショーンさんは、ソロ以外にも、日本人ユニット「チボ・マット」や、母親・オノさんの「プラスティック・オノ・バンド」へ参加するほか、小山田圭吾さんのユニット「コーネリアス」ともコラボしているのですが、
1992年には資生堂「ダンガリー」のCM、2008年にはHONDA「フリード」のCMに出演するなど、日本のCMにも出演しています。
資生堂「ダンガリー」のCM(お父さんのジョンさんが、ショーンさんに捧げた「ビューティフル・ボーイ」という曲がバックで流れています)(タップでyoutube)
「オノ・ヨーコが息子ショーン・レノンと「ファミリーヒストリー」に出演!」に続く