自身が作詞した「上を向いて歩こう」を歌う坂本九さんの歌い方がどうしても好きになれない中、「上を向いて歩こう」が大ヒットとなった、永六輔(えい ろくすけ)さんですが、坂本さんには、これだけで終わってほしくないという親心から、厳しい態度で接し続けたといいます。
「永六輔は坂本九が歌う「上を向いて歩こう」のヒットを予想していなかった!」からの続き
坂本九にはスターになった後も厳しい態度で接していた
「上を向いて歩こう」が世界中で大ヒットし、坂本さんはスターになるのですが、それでも、永さんは、坂本さんに対し、(いじめているというのではなく)厳しい態度で接し続けたそうで、
君は日本の芸に近づきつつある。でも、まだ学ぶべきことはいっぱいあるよ
と、坂本さんに会う度に言っていたそうです。
というのも、芸能界では、さして芸のない若者をスターに仕立て上げ、売れなくなると見向きもしなくなる、ということが多く、そのような事例を幾度となく目の当たりにしてきたため、坂本さんには、単なるアイドルや流行歌手として終わって欲しくないと思ったことや、スターになった後、虚しさや孤独感に襲われたであろう坂本さんのその後を心配してのことだったそうです。
(永さんも20代初めに同じような経験があったため、他人事とは思えなかったそうです)
また、何かの調査で、坂本さんが、「理想的な日本人男性」の第1位に選ばれたことがあったそうですが、その時にも、
永さんは、
理想的な日本人になんかなるなよ(堅苦しい優等生を演じて生きることはないという意味)
と、言ったそうで、それも、坂本さんには、殻を破って、もっと自由になって欲しいと思ってのことだったそうです。
坂本九からは観客が少ない場所でも歌えるよう頼まれていた
そんな口うるさい永さんを、坂本さんは煙たがっていたそうですが、永さんの気持ちは伝わっていたそうで、
(坂本さんは、中村八大さんには甘えていたそうですが、永さんには距離をとっていたそうです)
ある時、坂本さんから、
永さん、大劇場ではなく観客が少ないところで、歌えるチャンスをつくってください
と、相談され、
永さんは、小劇場「ジァン・ジァン」に出演することを勧めたそうです。
(坂本さんはこの頃、自身で作詞・作曲をするほか、映画や舞台に出演したり、司会をしたりと、活動の場を広げていたそうですが、それでも、歌手であることにこだわっていたそうです)
坂本九は永六輔のレコード発売コンサートに一般客として来ていた
そんな中、永さんは、1985年8月、中村八大さんとレコード発売コンサートを小劇場「ジァン・ジァン」で行ったそうですが、坂本さんは、(自分でチケットを買い)立ち見客の一人として来てくれたそうで、
(永さんは、坂本さんを見つけ、言葉では説明できないほど嬉しかったそうで、また、そんな永さんの気持ちを、坂本さんが素直に受け止めてくれていると感じたそうです)
コンサートが終わると、永さんに、
『六・八・九トリオ』で、また歌いたいです
と、言い、中村さんと一緒に帰っていったそうですが、これが坂本さんを見た最後になってしまったといいます。
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