1970年代、バラエティ番組の司会のほか、俳優としてテレビドラマにも出演するなど、人気絶頂期を迎えていた、せんだみつおさんですが、1978年には、ついに、過労で倒れてしまい、4ヶ月間入院していたといいます。

「せんだみつおの「ナハ」のノリはビートたけしに受け継がれていた?」からの続き

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「知らない同志」で俳優デビュー

バラエティ番組の司会として乗りに乗っていたせんださんは、1972年には、「知らない同志」でテレビドラマデビューすると、1974年には、ラジオの深夜放送を舞台に、若者の心のふれあいを描いた青春群像劇「真夜中のあいさつ」で主演を務めるなど、俳優としても活動しているのですが、

ある時、憧れだったフランキー堺さんから、

せんだくん、お笑いやりながら、ちゃんとしたシリアスなドラマもやったほうがいいよ

と、アドバイスを受けたそうです。

NHKドラマ「北上山系」に出演

そこで、せんださんは、このアドバイスに従い、「金曜10時!うわさのチャンネル!!」に出演中、ふざけて、「NHKに出たい」と書いたボードを持ってカメラの前に立ち、笑いをとっていたそうですが、

それを見ていたNHKの演出家・深町幸男さんに見初められ、本当にオファーがあったそうで、「北上山系」(1977年)というNHKのドラマに出演することができたそうです。


「北上山系」より。せんださん(左)と中条静夫さん(右)。

(この「北上山系」は、生涯を医療に捧げた医師の話で、中条静夫さん、檀ふみさん、樫山文枝さんと、名優が勢揃いしていたため、すごく緊張したそうです)

「せんだみつおの黄金期」を謳歌していた

ちなみに、この時期、せんださんは、「ぎんざNOW!」「金曜10時!うわさのチャンネル!!」のほか、テレビ、ラジオを合わせると、レギュラーが10本以上あったうえ、俳優としても、テレビドラマや映画に出演するなど、人気絶頂期を迎え、

プライベートでも、1973年に結婚すると、1977年には、念願だった世田谷に一軒家を購入と、まさに「人生の春」だったそうで、

せんださんは、この時期のことを、 「せんだみつおの黄金期」と呼んでいるのだそうです(笑)

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過労で倒れ4ヶ月間入院していた

ただ、そんな中、1978年12月、31歳の時、寝る暇もないほどのハードスケジュールがたたり、倒れてしまったそうで、レギュラー番組をすべて降板し、大田区池上の松井病院に入院することになってしまったのだそうです。

そして、4ヶ月の入院の末、翌年1979年3月、無事、退院するのですが・・・

「せんだみつおは昔入院中にノイローゼになっていた!」に続く

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